中森明菜さん BBS

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明菜さんについて楽しく情報共有・意見交換していきましょう!
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北ウイング-CLASSIC- yasuhiko higasi

2024/01/11 (Thu) 17:08:59

▼中森明菜「北ウイング-CLASSIC-」レビュー
以下の表示は
演奏楽器:演奏者名となっています。
Piano: Yasumasa Kumagai
Violin:Yoshie Kajiwara, Erika Sato
Viola:Rina Akiyama
Cello: Tetsuro Komiya

タイトル通り
ピアノと弦楽器のみの演奏楽器で
Piano・Violin・Viola・Celloなどの演奏楽器で
クラシック調にアレンジされたメロディーを
切なくも円やかな歌声で表現する明菜に
癒されております

今回の「北ウイング-CLASSIC-」は…
ピアノとストリングスの儚げな演奏をバックに
優しく包容力のある歌声が
彼女特有の耳に残るハスキーさを残しながら
まるで弦楽器のような伸びやかさとビブラートを聴かせています。
ポツリポツリと語りかけるような歌い方は
遠い過去の昔話を読み聴かせするような雰囲気もあって
もともと大人の恋愛模様を歌った歌詞ではあるけれど
現在の彼女の歌声によって
新たな物語が紡ぎ出されているかのようです。
デビュー40年と云う長い歳月をかけて到達したような
包容力と慈悲深さに満ちた歌声が
まさしく心の奥に染み込んで来ます。
 

ジャニーズ事務所陥落…今こそ明菜さまが輝く時 yasuhiko higasi

2023/09/17 (Sun) 07:53:39

【ジャニーズ事務所陥落…今こそ明菜さまが輝く時】
次から次へと
ジャニーズ事務所の陥落が
ニュースになりますね。
悪いことしたら
お天道様は必ず見ているから 
こうなるのです❣

明菜さま
今こそ 
あなたが輝く時です❣

ジャニーズ事務所に国際社会の厳しい目が注がれることになった。 yasuhiko higasi

2023/07/20 (Thu) 08:48:16

【ジャニーズ事務所に国際社会の厳しい目が注がれることになった。】
以下の文面は2023年7月14日・共同通信が発信した内容です。
〈*国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会〉は2023年7月13日に
2023年7月24日から8月4日の日程で
日本を訪問すると発表した。
訪日中にジャニーズ事務所のジャニー喜多川前社長(2019年死去)による性加害問題で、
被害を訴える当事者への聞き取り調査も行うことが分かっている。
 各国の人権侵害に改善を促す人権理の専門家が、
性加害問題の実態把握に乗り出す。
国民的な人気を誇るグループや歌手らを多く輩出する事務所に
国際社会の厳しい目が注がれることになった。
 調査対象者への圧力や妨害が加えられないようにするため、
作業部会は通常、事前に面会対象者などは公表しない。
今回の日程発表でもジャニーズ問題への言及はないが
「企業活動が人権に及ぼす悪影響」などについて調査するとしている。
 訪日するのは5人いる作業部会メンバーのうち、
ナイジェリアとタイの専門家。
東京のほか大阪府、愛知県、北海道、福島県を訪問予定で、
最終日の8月4日には東京都内で記者会見する。

〈*国連人権理事会のビジネスと人権に関する指導原則〉とは?
(a) 人権を保護する国家の義務、(b) 人権を尊重する企業の責任、(c) 救済へのアクセスの3つを柱と して、
あらゆる国家及び企業に、その規模、業種、所在地、所有者、組織構造にかかわらず、
人権の保護・尊重 への取組を促すものです。
★まさに芸能界の闇の中には…
 ジャニーズ問題に象徴されるような
 人権の保護・尊重を破壊する問題が含まれています。
われらが愛する明菜の人生も…
まさに芸能界の闇の中で 蹂躙(じゅうりん)された訳です❣

ジャニー喜多川問題を理解して 明菜自身もスッキリした心を味わって❣ yasuhiko higasi

2023/07/10 (Mon) 11:45:31

【ジャニー喜多川問題を理解して 明菜自身もスッキリした心を味わって❣】
山下達郎氏については…
1980年代(?)に
明菜による「駅」の歌唱解釈の批判を聴いた時から
音楽的才能と人間性が両立した人ではないと
私自身が感じ取っていましたから
今日の山下達郎氏発言も
推測出来る内容でした
前々からジャニー喜多川達が
明菜潰しに暗躍してたという噂がありましたが
今回のジャニー喜多川問題をみると
それは事実なんだろうなと云う気持ちが大きくなりました
この機会に…
今回のジャニー喜多川問題が
明菜潰しに暗躍してたと理解をして
明菜自身にもスッキリした心を味わって欲しいし
芸能界の闇も無くなって欲しい

コロナ禍LIVE激減が 明菜にも逆風❓ yasuhiko higasi

2022/12/22 (Thu) 01:17:40

【コロナ禍LIVE激減が 明菜にも逆風❓】

●プロローグ
わが明菜の歌唱は
作曲家・編曲家・作詞家・生楽器演奏者・ミュージシャンなど
その道の優れた「職人」達によって支えられて来ました。
《打ち込みでなければ出来ない独特の演奏》については
DTM(デスクトップミュージック=コンピューターの音源で作られるサウンド)で良いと考えます。

しかしながら
コロナ禍LIVE激減によって
制作予算が圧迫される現状にあるとしても
なし崩し的にDTMが増加していくのは肯定できません。
この様な現状は
全てのプロ歌手にとっての課題になっていると考えます。

DTM(デスクトップミュージック=コンピューターの音源で作られるサウンド)の進化によって
楽器に触れたことがなかったとしても
譜面上の完璧な音程とリズムを生み出すことが可能になる。
さらには録音された人の声や楽器の音色も
後処理によっていくらでも修正でき
少々歌唱や演奏の技術が甘くても
音源上は十分に「歌手」としてデビューできるようになった。

なぜ、ここまで日本の音楽ソフトは元気がなくなっているのだろうか。
実は「音楽のデジタル化」を、流通=「届け方」とは別の観点でとらえると
違う姿も見えてくる。

着目したいのは《音楽コンテンツ=音声・映像を使って表現される創作物=「真に価値のある中身」》 の『作り方』であります。
音楽業界の不況は《音楽コンテンツ=音声・映像を使って表現される創作物=「真に価値のある中身」》 の『作り方』に大きな変化をもたらした。

Ⅰ:デジタル化で《音楽コンテンツ=音声・映像を使って表現される創作物=「真に価値のある中身」》 の『作り方』が変容

音楽業界の不況によって
制作予算が圧迫され、作曲家、編曲家、ミュージシャンなどその道の優れた「職人」達を起用した作品が徐々に減少しています。

そこで登場したのが、「打ち込み」と呼ばれるDTM(デスクトップミュージック=コンピューターの音源で作られるサウンド)であります。

もともとコンピューターで作られる音楽コンテンツは、「YMO」や「TM NETWORK」などに代表されるように、
シンセサイザーでないと表現できない音を作る際に用いられていた。

それがコンピューターのハード・ソフトともに劇的に機能が進化した結果、DTMはあらゆる楽器が奏でる音を精巧に表現できるようになった。音程や音質も自由自在に操れる。緻密な編集作業がいくらでも可能になった。

その結果、DTMアプリケーションをオペレート(操作)する技術さえ身につければ
楽器に触れたことがなかったとしても
譜面上の完璧な音程とリズムを生み出すことが可能になる。

さらには録音された人の声や楽器の音色も
後処理によっていくらでも修正でき
少々歌唱や演奏の技術が甘くても
音源上は十分に「歌手」としてデビューできるようになった。

ごく一部のプロフェッショナルしかコントロール出来なかった「音楽」をグッと身近にした点では
DTMは革命的な技術といえる。

《DTMの技術》は《コストカットを余儀なくされた音楽制作の現場》でも重宝されており
《ミュージシャンのギャラ、スタジオの費用を圧縮する目的》でも用いられている。

現代のポップスや大量の音源を制作するカラオケの分野などは
DTMでないと成り立たない側面もある。

打ち込みでなければできない独特の演奏もある。

Ⅱ:熟練の技が生かされない

ただしDTMには弊害もある。
そこには
あらゆる経験を積んだ熟練のミュージシャンやアレンジャーがいない。

《熟練の技でしか表現できない旋律やリズム感》が得られない場合
時として《似たようなサウンドが濫造される土壌》になってしまっている。

スタンダードとなった名盤や名曲には
必ず優れたミュージシャンたちが参加し
素晴らしい《groove感(=音楽に乗った状態。その曲のリズムや雰囲気などが気持ち良く感じられる状態。)》を生み出している。

そして、《優れた演奏》は《優れた歌唱》を引き出し
《優れた歌唱力を持つヴォーカリスト》が名演を生み出す。

大勢のミュージシャンが関わり
《『個性的で新しいサウンド』や『唯一無二の個性を備えるヴォーカリスト』》をかけて制作されるような作品は非常に生まれにくくなっている。

今、この時代にそうした「クラシカルなサウンド」を追求するミュージシャンやアーティストも大勢いるが
かつてと比べるとそうした機会は圧倒的に減っている。

リリースされてから何十年も聴かれるような大傑作の中には
大勢の才能、潤沢な資金、時間が生み出した作品が沢山ある。

この様な作品が生まれにくくなる時代になりつつあるのかもしれない。これは由々しき状況だ。
今後は何が望ましいのか。

《DTMがさらに発展して
その道の優れたクリエイターが生まれ、育ちながらも
圧倒的な技術と才能を持った職人たちが奏でる音楽も
これまで通り多く生み出されるのは理想的だ。

両者が新しいサウンドに挑戦し、視聴者はハッとするような音楽を次々と楽しめる。
そんな時代が来たら、これから先も豊かな音楽文化を繋げることができるはずだ。》←A

プロですら多くの音楽番組では
カラオケで歌唱しているこの時代に
上記Aの《 》内の事柄を成就するためには
かなりの手間も費用も掛かるけれども
ミュージシャンとのアンサンブルを歌唱の力に変えられるようなヴォーカリストを視聴者に選んでもらうには
この様な[上記Aの《 》内の事柄を成就できるプロセス]が必要不可欠であります。

歌が上手で、唯一無二の個性を備えるヴォーカリストが歌い
『優れた編曲や演奏が歌唱にさらなる輝きを与えるような価値観』を
視聴者の立場からも求めていく時代になれば
そう遠くない将来
《『個性的で新しいサウンド』や『唯一無二の個性を備えるヴォーカリスト』》が次々と生まれる時代がやって来るかもしれない。

確かに理想的な理論上では その様な見解が支持されると思う。
しかしながら 現実は甘くない。

潤沢な資金や時間を費やさなければ
大勢の才能が産まれにくい状況になって
《『個性的で新しいサウンド』や『唯一無二の個性を備えるヴォーカリスト』》も産まれにくい状況になって
素晴らしい作品も産まれにくい状況になる

《音楽業界の不況によって
制作予算が圧迫され、作曲家・編曲家・生の楽器演奏者・ミュージシャンなど
その道の優れた「職人」達を起用した作品の減少傾向は日々増加し続けている。》

さて
私の心配事を述べれば
《音楽業界の不況によって
制作予算が圧迫され、作曲家・編曲家・生の楽器演奏者・ミュージシャンなど
その道の優れた「職人」達を起用した作品の減少傾向は日々増加し続けている。》と云う現実が
明菜の歌唱活動に悪影響を与える事になってしまうのではないかと云う問題点であります
私の心配事が実現しないように祈っています

Ⅲ:最後に 誤解なきように 申し上げます

プロの歌手やプロの演奏者を目指す新人達(=もちろん 才能も情熱もある新人達=自分の才能を磨きつづける情熱がある新人達)は
音楽業界の不況と云う厳しい生存競争に晒されている
私達一般の日常生活だって 厳しい生存競争に晒されている

今すでにプロで活躍している歌手でも
音楽業界の不況によって
所属する製作会社から
制作予算が圧迫され
作曲家・編曲家・生の楽器演奏者・ミュージシャンなど
その道の優れた「職人」達を起用できる経済的余裕が徐々に減少しています。

わが歌姫明菜の歌唱は
作曲家・編曲家・作詞家・生の楽器演奏者・ミュージシャンなど
その道の優れた「職人」達によって支えられて来ました
《打ち込みでなければ出来ない独特の演奏》については
DTM(デスクトップミュージック=コンピューターの音源で作られるサウンド)で良いと考えます
しかしながら
制作予算の圧迫によって
なし崩し的にDTMが増加していくのは肯定できません
この様な現状は
全ての歌手にとっての課題になっていると考えます

私は
幼少の頃は
クラシックの生楽器演奏に馴染んでいて
青年の頃は
ジャズの生楽器演奏にも馴染むような環境にいましたので
DTMが奏でる音感に人間臭い音感を感じ取れなくて
DTMが奏でる音感に人肌の温もりが感じ取れなくて
DTMが奏でる音感は尖っていて
まるで
DTMが奏でる尖った音が
私の全身に突き刺さってくるように感じ取ってしまうのです

さて
私の記憶によれば
マニアックなクラシック音楽愛好者によって
《ショパンが当時に演奏していたピアノ》で演奏する《ショパンの曲を聴く》と云うイベントさえ企画されているのです

ちなみに
『DTMでオーケストラを鳴らしたいのですが、どのソフトを買ったらいいでしょうか?』と云う質問に対して
プロのクラシックの生楽器演奏者は次のように答えています
『音質を向上させるために、ソフトウェアや機材などを買い揃えて行くと、何十万何百万円の世界です。それだけ投資しても、生のオーケストラの音には届きません。』

【生楽器演奏の仕事が減少傾向にあります。】 (ある生楽器演奏者の告白)

近年の技術革新により、「生楽器で演奏して録音する」という機会が減ってきている。
簡単に言えば、「打ち込み」と呼ばれるDTM(デスクトップミュージック=コンピューターの音源で作られるサウンド)によって 生楽器で演奏する必要性が薄れてきているのだ。

◆レコーディングしなくなる5つの楽器とその順番(以下のメッセージは 楽器演奏当事者の告白です)

演奏(レコーディング)の仕事がなくなる"順番"というのもある程度予知されてて、
今回はバンドで馴染みのあるボーカル、ギター、ベース、ドラム、鍵盤の5つに触れようと思う。

1. ドラム
最初になくなるのがドラムである。

これは録音環境による問題と楽器の特性によるものだ。
音を出す環境、録音機材を揃えること、さらにドラムは録音が非常に大変な楽器だ。
そして、太鼓(打楽器)という特性上、ニュアンスの再現性、ドラム音源(素材)と実際に録音したものの差が出にくいのである。

2.ベース
次に影響あるのがベース。基本的に単音でしか弾かないという点が大きい。

私もベーシストな訳だけど、たまに『打ち込み』で作っといたほうが早いんじゃね?と思うこともある。(あるベーシストの告白)

3.鍵盤楽器[ピアノ・オルガン・ハープシコード(=グランド-ピアノを小さくしたような型の撥弦楽器で,
鍵に連動する爪が弦を弾(はじ)いて音を出す。)など,鍵盤をもった楽器の総称]

鍵盤楽器が弾けない人でも 『打ち込み』で創る人が多い。
ちなみに、鍵盤楽器を弾ける人は、作曲や打ち込み速度などのレベルがかなり良くなるので
『打ち込み』で創る場合も かなりの強みになるので 重宝されると思います。

4.ギター
これはまだまだ、打ち込みでの実用が現実的ではない楽器で、
アルペジオ(単音弾き)ならまだしも
コード弾きとなると まだ実用段階ではないと思います。

音ならどうにかなりそうなんですが、ギターって複数の弦を同時に弾くことが前提なんですよね。
多い時で最大6弦同時になります。ただ、これって全部一緒のタイミングで鳴ってるわけじゃありません。
上からストロークすれば6弦→5弦→4弦→3弦→2弦→1弦と、わずかながらも発音タイミングが違うわけです。
そのストロークの緩急でニュアンスもまったく違ってきます。しかも、それが下からのストロークもあることを考えれば、
ギターを打ち込みで再現するのが いかに大変か分かりますよね。

5.ボーカル
そして最後まで残るのがボーカル。

これはもう替えがきかないものです。まさに声(体)が楽器というわけです。
ここ数年はボーカロイドの人気も凄いのですが、私はこれを『ボーカロイドという歌手』と位置づけれるんじゃないかと考えています。

今後、『初音ミク』や『鏡音リン』などボカロデータのようなものを個人の声で誰でも作れるようになる時代は来ると思います。
それでも、キャラクターという要素も重要とされるボーカルは最後まで仕事がなくなることはないでしょう。

今回は録音(レコーディング)の話をしましたが、生楽器演奏の仕事は当然それだけじゃない。
バーやライブ会場での演奏、音楽教室などでの講師など普通の人が思っている以上にはある。
おそらく演奏の仕事が完全になくなるということはないだろう。
《しかし、仕事がなくなるほど 食べれる人は減り、食べれる人が少ないなら 目指す人も減るのは分かりきったことだ。》

明菜の歌唱表現はアトモスフィア yasuhiko higasi

2022/11/30 (Wed) 17:48:17

明菜の歌唱表現はアトモスフィア
【前口上】
たとえば、歌唱動画映像が
あなたに 触感や温度感覚を与えるとき
歌唱動画映像は… 
空間の幻想を作るのに
効果的なパワーを発揮します。

【1】明菜が歌唱表現したいことが
「atmosphereアトモスフィア」なんだと思っしまうのは
私だけでしょうか❓
「atmosphereアトモスフィア」とは
言語化以前の、言語化できない未整理な感情と云うか
ぼんやりと漂う、あえかな情緒と云うか…
混沌としていて すべての感情の源泉であるような
未整理な感情みたいなモノ…
ただ そこにあるのは確かだけれども、
言葉という記号で表現できない、名づけられない何か、と云うような 
混沌としていているものであります。
明菜が歌唱表現したいことが
上述した「atmosphereアトモスフィア」なんだと思ってしまうのは
私だけでしょうか❓これから書き綴りたいと望んでいるのは
『Back Door Night』の〈review=感想・批評・評価〉であります。
【2】『Back Door Night』の〈review=感想・批評・評価〉
▼『Back Door Night作詞:麻生 圭子/作曲:長谷川 勇』全歌詞
逃げてね 地の果てへ
靴音 消えていく
倉庫の 窓から
夜明けを確かめた

一人きりは そう なれてるのよ
指先に残るぬくもりを噛んだ

裏階段 your way 桟橋へ you know
その光は……
国籍は forget 顔のない you're a runaway
Fu Fu Fu Fu


別離は出逢いに 似てしまうものね
愛して愛して 全てを捨てれば
もつれて もつれて あの日に還る ほら
あなたは誰?
(Back Door)

やさしく抱きしめて
最後も微笑みで
無駄にしないでね この気持ちを
迎えに戻って いつかは……

気配が気配がこのドアを開ける
決して決して喋ったりしない
私に私に怖いものはない今
あなたを守ることが
私の誇りだから

▼『Back Door Night』の〈review=感想・批評・評価〉&「アルバム不思議」の〈review=感想・批評・評価〉

①明菜の歌唱表現の目標(全ての歌について)
常々明菜は…
「音楽とは、聞いている人間に何らかのイメージを思い起こさせるべきもの」というような考えがあるようで、
そのためには
「自分の歌声も楽器の一部として扱う」ことをボーカリストとして心がけている節があって、
結果的にこの「不思議」から「FIXER」に至るまでの30年間、
彼女は延々と様々なトライandエラーを恐れないような
歌唱法の実験を試みるのです❣
常々明菜は…
歌詞が云々、メロディーが云々ではなく、
声とバックトラックの相乗効果で
エモーショナルな(=感情をかき立てる)表現を構築する……
極端に言えば歌詞に意味がなくても、それこそ全部「ラララ~」みたいな感じだったり、
意味の分からない異国の言語で歌っても、
聞き手に何らかのイメージを想起させることが出来るような、そんな楽曲や
歌声を作り上げることを目標にしていたと思うのです❣

②明菜にとって初となる《セルフプロデュース作品》Back door nightやマリオネットは…
「明菜最大の問題作」とも形容された
1986年8月11日発売アルバム『不思議』の楽曲である。
夜光塗料で描かれた「不思議」の文字が
浮かび上がる仕様。ジャケットの衣装・
メイクは、中森がハワイで見つけた
ディゴドンという呪い人形をモチーフにした。中森は、本アルバムについて、
映画『エクソシスト』の音楽から
インスパイアされたものであるという
発言を残している。
EUROX、吉田美奈子、
SANDII & THE SUNSETSらの楽曲が
選定された。

1回目のトラックダウン終了後、中森は
そのミキシング[=録音された各トラック(音)の音量バランスや音色などを調整する作業]では"カッコいいけど、
不思議じゃないネ?"」と発言。
その後、
サウンドとヴォーカルがひとまとまりとなって聴こえるような
2回目のtrack down(=多重録音されたものを混ぜ合わせ、音質や抑揚を決めて一つの曲にまとめていく過程)が行われた。
ミキシングに関しては、
もともと中森のアイデアにより、
ヴォーカルを小さく処理したとディレクターの藤倉は明かした。
本作のconcept(=終始一貫させる考え・構想)は、
声も楽器の一部であるというものであった。
EUROXについては、アルバム・クレジットに
「EUROXのお蔭で、この作品を作ることが出来た」との記述がされている。
私は
不思議というよりは
神秘的といった感じを受け取っています。

何か人以外のもの、例えば力をもった蛇が
人間の女性に乗り移って、声を借りて
歌ってるような呪術的な匂いすら感じます。

全編にわたり、その妖艶なヴォーカルに
エコーが深くかかっているのが、
アルバムを統一させる重要な要素にして、
とっつきづらさを通り抜ければ癖になる雰囲気を演出。
リズムは曲によっては 独特なパターンを用いており、
注意深く聴けば 細部にわたるこだわりを発見できます。

明菜の表現力がなければ「アルバム不思議」は作品として成立しなかった。
ヴォーカルが聴き取れないから 
明菜以外の歌手でも良かったと言う人がいるけれども、それは大間違い。
このヴォーカルに拒否反応を起こして聴く気が削がれ、ちゃんと聴いていないだけ。
確かに 声は聴き取りづらいが、それは意図的なものだし、
全曲同じ感じに思えて、よく聴くと 実は曲によって歌い方を変えているのが分かる。
時に不気味に笑いながら、泣きながら、ある時は囁くようなヴォーカルも楽しめる。
北ウイング「不思議な力で~~~~~」に匹敵するロングトーン、
「アルバム不思議」に含まれる楽曲Labylinthの歌詞「冷ややかな雫は~~~~~」も強力なインパクト。
とにかく一度このアルバムの魔力に取り憑かれたら抜け出せない、
非常に高い完成度を持つ一枚。

そして時は流れ、2006年に紙ジャケリマスターが出て
聴いて思ったのが 「あれ?思ったより 聴きやすいぞ?」
「意外と楽器の分離も良いし…リバーブの深さも有り得ないと言うほどでもない…」
そう思ったのは やはり、20年ほどの間に
自分自身が沢山のジャンルの音楽に触れた事、
特に90年代初頭のシューゲイザー(とどろきわたる音、乱れた音、浮遊感、甘いメロディ、ささやくようなボーカル)等を
散々聴いた耳には、それ程過剰な音には 聞こえなくなったというのはあると思う。
しかし、そうして一歩引いて聴けるようになった分、
このアルバムの唯一無二の部分、
素晴らしさも 以前よりはっきり分かるようになったと感じている。

86年のアルバム『不思議』は
ボーカルと演奏が入り混じって
賛否両論だったけど、
アルバム『不思議』は 
全6曲で構成されています。
ここではRE-VOCALIZEDと書かれているように、
演奏とボーカルがしっかり分離していて、
時につやっぽく、
時に狂おしく歌う明菜さんが
堪能できます。

③Back door nightレビュー
出だしのオーケストラヒット系シンセ(=電子楽器音)から インパクト(=衝撃)が強い。
ドラムマシーンと譜割りの細かいベースによるファンキーな(=カッコいい、イカした、型破りな)リズム、細かく絡むようなギター…
全体に深いリバーブ(=残響)がかけられていて 特にスネアドラムが大きく響く。
ボーカルはディレイ(=音響効果)かリバーブ(=残響)を通した音をメインに据え、
元の声は ほぼカットか極端なイコライジング(=イコライザを使用して、主に音色を加工する作業)がされているように聴こえる。
そしてその歌唱は、妙に鼻にかかった声、極端な抑揚、
ビブラート(=声を途切れさせずに、かつ音を小刻みに上下に揺らす歌唱テクニック)の多用…
[ミックス(=音量バランスや音色などを混ぜ合わす)時により目立つように処理されていると思われる]
→これらは歌詞を伝えるための歌ではなく、声を楽器として捉えている事を強く感じさせる。
曲はファンク的な(=型破りな)出だしから、サビではロングトーンのベースが響き、
続いてヴァイオリンのソロへと ドラマチックに展開して行きます。
ここまで書いた特徴の多くは アルバム不思議全体に当てはまり、
アルバム不思議1曲目Back door nightにしても
このアルバム不思議がどういった特徴なのかを良く表している。
残響のベール(=おおい)の内側から「こちら側へおいで」と誘われているようなイメージが浮かぶ。
このアルバム不思議をプロデュースした中森明菜は、
歌詞をメインに置いた歌では無く、
「音楽」として新しいもの、自分の心に刺さるものを作ったのだと思う。

「不思議」のまず最初は この曲「Back door night」で始まります。
麻生圭子(作詞)とEUROX(作曲&編曲)による曲は、
まさに不思議な世界を象徴する"音"で始まります。
明菜の声が遠くから聞こえますが、歌詞が聞き取れません。
ただ、かなり高いキー(=音階)で歌っており、
バックコーラスのようでもあります。歌詞をよく見て内容を確かめる必要があります。

歌詞内容を見ると、題名の通り、
裏門Back door(裏階段)から桟橋に、逃げていくあなた(恋人?)の靴音を
倉庫の窓から聞いている私(女性)を歌っていることがわかります。
なぜ逃げるのかわかりませんが、私はあなたを守ることが誇りだから、地の果てまで逃げてね、と言っています。

実に不思議な歌です。単純なラブソングではありません。
内容を理解するだけでも大変なのに、声がよく聞こえないのですから、まったくどうしようもありません。
当時は物議をかもしたことは当然で、歌(特に流行歌とかポピュラーソング)の根本から問い直す姿勢は
今でも破天荒だと思います。
しかし、こうしなければ、《明菜の表現したいnuance》が伝わらなかったのだろう、と想像しています。

「Back door night」において
《明菜が表現したい「nuance=歌詞の持つ表面的な意味以外の、情緒的な意味や細かな意味」》とは…
言語化以前の、言語化できない未整理な感情と云うか
ぼんやりと漂う、あえかな情緒と云うか…
混沌としていて すべての感情の源泉であるような
未整理な感情みたいなモノ…
ただ そこにあるのは確かだけれども、
言葉という記号で表現できない、名づけられない何か、と云うような 
混沌としていているものであります。
明菜が歌唱表現したいことが
上述した内容であると思ってしまうのは
私だけでしょうか❓
あなたは どんな風に感じ取っていますか❓

いま私はマリオット yasuhiko higasi

2022/11/22 (Tue) 19:47:35

【いま私はマリオット】
 
●初日、「マリオネット」のイントロから
どよめきが起こったのを
今でも忘れられない
「不思議」の中からの選曲は
私にとっても冒険だったが
みんなの うれしそうな顔が
その選択の成功を物語っていたように思えた。
出典:◎2003年ライブDVD 付属ブックレットよりの明菜告白

●ここからは 私の夢想に付き合って下さい❣
あまりの飛躍解釈に驚かないで下さい❣
いまコロナ禍の中で 
すべての食べ物が高騰し
ガス代も電気代も水道代も高騰して
エンタメに支払う余裕も急速に減少して
ストレスが溜まり気味なので…
まるで 私達の状況は
《コロナ禍の溜まり気味ストレス》から 
あやつられ続けて
自分の心の感受性が奪われてしまったような
『マリオネット=操り人形』のようであります❣

●と云う訳で
明菜が歌う『マリオネット』を鑑賞することによって…
自分の心の感受性が奪われてしまったような
『マリオネット=操り人形』の感覚を感じ取ることで
あらためて 本当の自分を取り戻し
自分の心の感受性を取り戻すことにしましょう❣

【Ⅰ】~『マリオネット(作詞:安岡 孝章/作曲:安岡 孝章)』歌唱全歌詞~

YouTube上の『マリオネット』(1987年・TV動画映像)においても
『マリオネット』(2003年・DVD動画映像)においても
歌唱全歌詞は 以下①~⑲のフレーズですし
《前奏》や《間奏》や《終奏》も
下述と同じ箇所で 演奏されています

〇まず 《前奏》が演奏されます。
①ゆれるメロディに 手を引かれ
②ゆるやかに踊る 月照かりの中
③悲しい夜の プレリュード(注1)
④海風が迷い込む
↑上述(注1)プレリュード=prelude=前奏曲。序曲。=一般に導入的性格の器楽曲。

⑤光と影の中で踊り続ける
⑥遠い想い出にまだ操られてる
⑦ひとり夢と踊るマリオネット(注2)
〇ここで 《❶間奏》が演奏されます。
↑上述(注2)マリオネット=marionette=糸を使って操られる人形。

⑧窓辺にもたれて 耳をすませば
⑨壊れたはずの オルゴールの歌
⑩悲しい愛の ラブソディ(注3)
⑪風の中で 舞いながら
↑上述(注3)ラブソディ=rhapsody=幻想的な楽曲

⑫時の間(はざま=狭間)の中で踊り続ける
⑬遠い面影にまだ操られてる
⑭ひとり夢と踊るマリオネット
〇ここでも 《❷間奏》が
上述《❶間奏》より 長く演奏されます。

⑮指と指をつなぐ糸が
⑯強い風に切れないように

⑰光と影の中で踊り続ける
⑱遠い想い出にまだ操られてる
⑲ひとり夢と踊るマリオネット
〇ここで 《終奏》が
上述《❷間奏》より 長く演奏されます。

ちなみに上述(注1)~(注3)の《解釈》は
あくまで《辞書による直訳的解釈》であって
この《辞書による直訳的解釈》については…
ここで歌唱される『マリオネット』全歌詞のメッセージを
《image》として 感じ取って
その《image》を 私なりのコトバで
《以下のⅡ以降に書き付けるためのヒント》になるだけです。

【Ⅱ】~『マリオネット』(1987年・TV動画映像)レビュー~

テレビ画面で視聴すれば…
まるで《天井の蜘蛛の巣》から
《細く白い蜘蛛の糸》が
《心の自由を捕獲する網》のように
垂れ下がっています

その《細く白い蜘蛛の糸》は
《『遠い想い出・遠い面影』の『夢の糸』》であり
その《『遠い想い出・遠い面影』の『夢の糸』》は
《指と指とをつなぐ糸》になっています

その《『遠い想い出・遠い面影』の『夢の糸』》は
《心の自由を捕獲する網》のように
垂れ下がっていて
その《指と指とをつなぐ糸》は
《『遠い想い出・遠い面影』の『夢の糸』》であり
その《指と指とをつなぐ糸》は
強い風でも切れないようになっているから
悲しい夜の
光と影の中で
《激しく舞いつづける主人公》は
《『遠い想い出・遠い面影』の『夢の糸』》に操られながら
心の自由を捕獲されたまま
《一人きりで踊り続ける『操り人形』》になっているのです。

<舞踏集団>Dee-Deeは
前衛的な動作で舞いながら
時には
明菜を包み込んだり
時には
明菜の背後に移動したりして
明菜の激しく舞う姿が
《鮮やかに見える効果》を 上げています
激しく舞う明菜の『歌声』には…
まるで
視聴している私達の感受性に向かって
《むき出しの純粋すぎる挑戦的なコトバ》が
ストレートに 突き刺さって来るように
感じ取っています


【Ⅲ】『マリオネット』の背景&黒魔術を彷彿させるような表現&明菜の芸術性
 ~『マリオネット』は めくるめく芸術表現のPerformanceである~

明菜が21歳頃のYouTube上・『マリオネット』(1987年・TV動画映像)において
なぜ
明菜自身は
黒魔女のような歌い方にし
なぜ
明菜自身は
黒魔女のような衣装と振り付けで
黒魔術を彷彿させるような表現にしたのでしょうか?↓
▼1987年当時
 21歳頃の明菜は
 1987年2月4日からマンスリー出演したフジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』において
 マンスリー1周目に『不思議 (アルバム)』から
 「Back door night」、「マリオネット」を テレビで披露した。
 当初の明菜は…
 「テレビでは、この作品のイメージ通りに表現出来ない。」と云うことで
 この2曲(=「Back door night」&「マリオネット」)による出演を断った経緯があるが
 スタッフの厚い要望のもと 明菜も出演を承諾し
 この『不思議 (アルバム)』のイメージに極力近づけるカタチで放送された。
 このイメージを壊さないために、
 セット、ライティング、映像の写し方まで こだわったそうである。
 その後、
 2003年の全国コンサート・ツアーAKINA NAKAMORI LIVE TOUR 2003~ I hope so~-において
 このアルバムから「燠火」と「マリオネット」を披露した。

▼~『マリオネット』は めくるめく芸術表現のPerformanceである~
信頼できる情報によれば
明菜が歌っている当時の振り付けも
振付師によるものではなく
自分で考えた振り付けをしていたようだ。
付け加えれば
衣装もまた 
明菜が曲に感じたものを
スタイリストなどと一緒に再現していたと云う。
更に加えれば
演出も そうであったようだ。
とにかく明菜は
歌のイメージを直感的に捉えた振り付けと衣装とを
演出していた事になるだろう。
ちなみに
澁澤龍彦「少女コレクション序説」の中の
「人形愛の形而上学」には 
=以下=のように記述されている。
=そもそも遊びや玩具のなかで、
  その起源に、"魔術的"ないし宗教的な意味を見出すことができないようなものは、
  ほとんど一つもないのである=
  ↑=この記述=は…
     つまり、《どんな人形の背景》にも
     《魔術的要素が含まれていると云う事》を…伝えている!
《愛に関する歌》を多く歌う明菜が
『マリオネット』という曲で 魔術的に演じた事は
まさに 『マリオネット=marionette=糸を使って操られる人形』が醸し出すimageに
ぴったりと はまっている感触が強い。
私の推測によれば
21歳頃の明菜自身が 最初に『マリオネット』を歌唱した時に
澁澤龍彦「少女コレクション序説」を知っていたとは思えないので
こう云う《『マリオネット』の背景》を知らず、
天性の感性で『マリオネット』を表現した明菜は、
感性の天才であると思う。
例えば、
人形やロボットを 人間が表現する場合、
この時代でも カクカクッとした表現で、
パントマイムやダンスで 
見事に 人形やロボットを演じる人は 多かった。
しかしながら 明菜は、
そういう表現をせずに
《自分的な人形の在り方》を
独自に 表現している。
《その表現のカタチ》は、
《自由意志を持った"愛の操り人形"》と云う事に なるのでしょうか?
ともあれ
『マリオネット』のパフォーマンスにおいては
自分自身の表現効果を上げるために
纏う衣裳・歌い舞う姿・歌唱法や
舞台装置・舞台照明・動画映像の撮影法などに
こだわっている《明菜の情熱》があって
この《明菜の情熱》によって
『マリオネット』の《めくるめく夢幻Warld》を 表現しています!
ここにこそ 明菜の《素晴らしい芸術性》があります。
《明菜の演劇性》は 歌詞を超えていて
《明菜の芸術性》は 歌詞を超えていて
『マリオネット』において
《明菜のPerformance》 は
従来の演劇やダンスなどの表現を 超えています!
→今でも…《素晴らしい芸術性》を 失っていません!

▼もちろん 『マリオネット』だけではなく
 明菜の歌唱曲には… 
 《素晴らしい芸術性》と
[素晴らしいentertainment性(=娯楽性)]とが
 同時に含まれているからこそ
 私も 明菜ファンを15年以上 続けています。
 《明菜デビュー当時からのファンの方々》に比べれば
 私は… 
 60歳頃に 明菜のファンとなり
 今は 78歳の老爺となっているような
 《かなり遅れて来たファン》でありますが…

【Ⅳ】~『マリオネット』 (2003年・DVD動画映像)レビュー~

▼2003LIVE・明菜(=38歳頃)の『マリオット』歌唱においては…
明菜は
まるで
《客席に向かって訴えるセリフ》のように
歌っているけれども…
YouTube上の『マリオネット』(1987年・TV動画映像)の明菜(=21歳頃)のように
視聴している私達の感受性に向かって
《むき出しの純粋すぎる挑戦的なコトバ》が
ストレートに 突き刺さって来るように
歌っているのでは ありません。
2003LIVE・明菜(=38歳頃)の『マリオネット』歌唱全体から
私が受け取った感触を 以下に書き綴ります。
確かに
『マリオネット』の歌詞内容は
ストレートに 突き刺さって来るような
《むき出しの純粋すぎる挑戦的なコトバ》で
あふれているけれども…
その『マリオネット』歌唱全体から
私が受け取った感触を述べれば…
38歳頃の人生体験から溢れ出る『重みと切なさと、
そして強さとしなやかさ』を抱きながら
その歌唱の中に
《細やかな情感表現》が
あふれ出ていて…
その《細やかな情感表現》が
心の奥底に 染み込んで来て…
視聴している私達が抱くような
《心の奥底の…『愛が途切れる哀しみ』》にも
寄り添いながら
《心の奥底の…『渇愛の情念』》が
激しく燃え上がってくるように
心の奥底から 絞り出すような声で…
聴いている一人一人に対して
訴えるように 歌っているので…
その《むき出しの純粋すぎる挑戦的なコトバ》には
明菜の『情念のうねり』が含まれていて
その『情念のうねり』は…
歌う明菜姫の《まごころ》から溢れ出るような
『情感の震え』になっていて…
《『切なく訴える渇愛の叫び』の情感》と
《『はかなく零れ落ちそうな愛』の情感》と
《『はかない求愛・はかない渇愛』の情感》と云うような
《混ざり合った情感》の中で…
ゆらゆれる『情念のうねり』が
歌う明菜の《まごころ》から溢れ出るような
《情感の震え》 に なっているのです!
この《情感の震え》からは …
切なく淋しい感じを 受け取っています
ビブラートは
ナチュラルに かかっているようです。

▼ちなみに 
2003 I Hope so LIVE(DVD版)の楽器編成は…↓
女性弦楽器奏者に限って云えば
観客席から向かって、右側から左側にかけて、
チェロ→ビオラ→バイオリンと云う配列であり、
バイオリンの場合…
クラシックの呼称では、
観客席から向かって左側が《⁂第1バイオリン》、
右側が第2バイオリンと云う配列になっています。

▼ところで
上述【Ⅰ】の『マリオネット』歌唱全歌詞において…
2回目の《❷間奏》がスタートする頃から
《上述⁂第1バイオリンの女性奏者》が
観客席から向かって、舞台の右側に立ち
立ち姿のまま 激しくバイオリンを弾き始めていて…
《激しく蝶のように舞いながら歌う明菜の動き》と
《立ち姿のまま 激しくバイオリンを弾く女性奏者》とが
《お互いに 絡み合う姿のパフォーマンス》によって
『マリオネット』の《めくるめく夢幻Warld》が
《鮮やかに浮き上がって来る感触》を 抱きます
さらに また
『マリオネット』の《終奏》がスタートすると…
それこそ まるで
《鮮やかに浮き上がって来る感触》の『記憶』を
ふたたび 呼び起こすように
《上述⁂第1バイオリンの女性奏者》は
観客席から向かって、舞台の右側に
そのまま 立ち続けていて…
立ち姿のまま 激しくバイオリンを弾き続けていて…
《激しく蝶のように舞いながら歌う明菜の動き》と
《立ち姿のまま 激しくバイオリンを弾く女性奏者》とが
《お互いに 絡み合う姿のパフォーマンス》によって
『マリオネット』の《めくるめく夢幻Warld》が
《鮮やかに浮き上がって来る感触》は…
《その限界》を 超えて行くことになって 
《鮮やかに浮き上がって来る感触》の『情念の炎』が
『マリオネット』の『情念の炎』が
めらめらと 燃え上がって行きながら
その『情念の炎』で 観客を包み込んでしまうのです!

【Ⅴ】『マリオネット』の背景&黒魔術を彷彿させるような表現&明菜の芸術性
 ~『マリオネット』は めくるめく芸術表現のPerformanceである~

明菜が21歳頃のYouTube上・『マリオネット』(1987年・TV動画映像)において
なぜ
明菜自身は
黒魔女のような歌い方にし
なぜ
明菜自身は
黒魔女のような衣装と振り付けで
黒魔術を彷彿させるような表現にしたのでしょうか?↓
▼1987年当時
 21歳頃の明菜は
 1987年2月4日からマンスリー出演したフジテレビ系の音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』において
 マンスリー1周目に『不思議 (アルバム)』から
 「Back door night」、「マリオネット」を テレビで披露した。
 当初の明菜は…
 「テレビでは、この作品のイメージ通りに表現出来ない。」と云うことで
 この2曲(=「Back door night」&「マリオネット」)による出演を断った経緯があるが
 スタッフの厚い要望のもと 明菜も出演を承諾し
 この『不思議 (アルバム)』のイメージに極力近づけるカタチで放送された。
 このイメージを壊さないために、
 セット、ライティング、映像の写し方まで こだわったそうである。
 その後、
 2003年の全国コンサート・ツアーAKINA NAKAMORI LIVE TOUR 2003~ I hope so~-において
 このアルバムから「燠火」と「マリオネット」を披露した。

▼~『マリオネット』は めくるめく芸術表現のPerformanceである~
信頼できる情報によれば
明菜が歌っている当時の振り付けも
振付師によるものではなく
自分で考えた振り付けをしていたようだ。
付け加えれば
衣装もまた 
明菜が曲に感じたものを
スタイリストなどと一緒に再現していたと云う。
更に加えれば
演出も そうであったようだ。
とにかく明菜は
歌のイメージを直感的に捉えた振り付けと衣装とを
演出していた事になるだろう。
ちなみに
澁澤龍彦「少女コレクション序説」の中の
「人形愛の形而上学」には 
=以下=のように記述されている。
=そもそも遊びや玩具のなかで、
  その起源に、"魔術的"ないし宗教的な意味を見出すことができないようなものは、
  ほとんど一つもないのである=
  ↑=この記述=は…
     つまり、《どんな人形の背景》にも
     《魔術的要素が含まれていると云う事》を…伝えている!
《愛に関する歌》を多く歌う明菜が
『マリオネット』という曲で 魔術的に演じた事は
まさに 『マリオネット=marionette=糸を使って操られる人形』が醸し出すimageに
ぴったりと はまっている感触が強い。
私の推測によれば
21歳頃の明菜自身が 最初に『マリオネット』を歌唱した時に
澁澤龍彦「少女コレクション序説」を知っていたとは思えないので
こう云う《『マリオネット』の背景》を知らず、
天性の感性で『マリオネット』を表現した明菜は、
感性の天才であると思う。
例えば、
人形やロボットを 人間が表現する場合、
この時代でも カクカクッとした表現で、
パントマイムやダンスで 
見事に 人形やロボットを演じる人は 多かった。
しかしながら 明菜は、
そういう表現をせずに
《自分的な人形の在り方》を
独自に 表現している。
《その表現のカタチ》は、
《自由意志を持った"愛の操り人形"》と云う事に なるのでしょうか?
ともあれ
『マリオネット』のパフォーマンスにおいては
自分自身の表現効果を上げるために
纏う衣裳・歌い舞う姿・歌唱法や
舞台装置・舞台照明・動画映像の撮影法などに
こだわっている《明菜の情熱》があって
この《明菜の情熱》によって
『マリオネット』の《めくるめく夢幻Warld》を 表現しています!
ここにこそ 明菜の《素晴らしい芸術性》があります。
《明菜の演劇性》は 歌詞を超えていて
《明菜の芸術性》は 歌詞を超えていて
『マリオネット』において
《明菜のPerformance》 は
従来の演劇やダンスなどの表現を 超えています!
→今でも…《素晴らしい芸術性》を 失っていません!

▼もちろん 『マリオネット』だけではなく
 明菜の歌唱曲には… 
 《素晴らしい芸術性》と
[素晴らしいentertainment性(=娯楽性)]とが
 同時に含まれているからこそ
 私も 明菜ファンを15年以上 続けています。
 《明菜デビュー当時からのファンの方々》に比べれば
 私は… 
 60歳頃に 明菜のファンとなり
 今は 78歳の老爺となっているような
 《かなり遅れて来たファン》でありますが…

▼さて
  あなたは
   《『マリオネット』の『めくるめく芸術表現』》から
     どんなimageを 感じ取っていますか?

少ない経済的補償では 音楽業界が連鎖破綻する yasuhiko higasi

2022/11/11 (Fri) 15:23:03

【少ない経済的補償では 音楽業界が連鎖破綻する】

▼前口上
コロナ禍の状況も加わって
自分の心の感受性が減少傾向に向かっている方々は
まさに明菜歌唱の『Rojo-Tierra-』を鑑賞して下さい❣

▼コロナ廃業が迫る音楽関係者の〈生の訴え〉
~少ない経済的補償では 音楽業界が連鎖破綻する~
「行政の補償やガイドラインは、
物理的な合理性のみに着目したもので、
文化や芸術を広い意味で保護するという視点が存在せず、
意味を成していません。
普段から音楽や演劇、それに伴う飲食を楽しむ庶民の感覚や
目線をまったく理解していないのが感じられ、とても残念です」(音楽プロデューサー)
「どのような形で仕事を再開するべきか模索状態です。
以前と同じ環境ではもう働けないと感じており、
先の見えない状況にとても不安を感じています」(照明スタッフ)
「売り上げが完全に途絶えた」(ライブハウスオーナー)
「ライブやイベントが延期や中止になっただけでなく、
今後のスケジュールさえ決めることができない。
ただただ、不安でしかない」(アーティストのマネージャー)

▼政府が…
文化や芸術や芸能に対して
少ない経済的補償を続ける限り
音楽業界の〈生LIVEパホーマンス〉については
まさに歴史上の「無形文化財」となって  
この〈生LIVEパホーマンス〉は
遥かの昔に 人間の関わった行動形態として
語り継がれるような伝説になってしまいます。

▼『Rojo-Tierra-』歌詞
作詞:川江美奈子・Miran:Miran/作曲:浅倉 大介

Ms. Una Tierra もっとそばに来て この腕に抱かせて
生きているぬくもりを 肌で感じる
熱い予感 終わりじゃない
私たちは ひとりじゃない

それはまるで大地を溶かしてしまいそうな炎 輝くほど
強くおもえる愛しい人たち光放つ 永久の希望を抱いて

動きだす大地とともに…私たちは出逢い
どんな群れにまぎれても決して見失わない

Ms. Una Tierra どうぞここへ来て 悲しみごとあずけて
傷ついた羽根さえも 時にまぼろし
Ms. Una Tierra 今 目を閉じて 鼓動に身をゆだねて
やがて来る夜の果て 耳を澄ませて
熱い予感 終わりじゃない
あなたはもう ひとりじゃない

それはまるで未来を祝福してるような光 あたたかくて

つらい過去から逃げずに…夜明けをつかまえて
優しい目をした人よ 光は降り注ぐから

Ms. Una Tierra もっとそばに来て この腕に抱かせて
生きているぬくもりを 肌が感じる
Ms. Una Tierra 胸に打ち寄せる 涙を泳ぎ切って
雨上がり虹の果て 恵む聖地へ
赤く燃える この心で
どんなことも 受け止めてく

Ms. Una Tierra どうぞここへ来て 悲しみごとあずけて
傷ついた羽根さえも 時のまぼろし
Ms. Una Tierra 今 目を閉じて 鼓動に身をゆだねて
やがて来る夜の果て 耳を澄ませて
Ms. Una Tierra もっとそばに来て この腕に抱かせて
生きているぬくもりを 肌が感じる
熱い予感 終わりじゃない
私たちは ひとりじゃない

▼「Rojo -Tierra-」レビュー

本当はね…生歌じゃないような唄で 復帰してほしくなかったけれど…
ああ云うプロデュース、慣れてないはずだけれども…
付録DVDで、人工ビブラート&エコーだって判ってしまったけれども…
見たくなかった種明かしだったけれども…
NHK紅白で明菜が歌い始めて…時が経つうちに…
日本中4割ほどのテレビ画面を 一瞬でブラックホールにした明菜が…
宇宙の闇さえ味方に付けてるみたいな強大な不思議パワーで
全部呑み込んでしまったように 感じてしまいました。
トータルプロデュースされた圧倒的な不思議パワーの勝利。
偏執狂ギリギリの徹底主義は不滅!幾重にも凄くて……嬉しい限り。
NHKホールの舞台で みんなと同じライトを浴びてたならば
不可能なperformanceだったから…
明菜の不安心風に 明けない夜のように物憂げな照明、
不安の裏まで味わい尽くしてここにいる、って感じの物憂げな表情、
異世界から這い出てきたように
物憂げな表情で 低音域な語りで
“⤵日本もいま低気圧の影響で⤵⤵⤵”って…
貴女こそが低気圧でしょ…とツッコまれそうな語り…
復帰会見にも似た歌い出しまでのほんの数十秒で、
バカ陽気にさんざめくNHKホールも、
たちまちシャットダウン、物憂げな雰囲気へと向かわせる。
4年ぶりに顔を見せた明菜、紅白最大のインパクト。
他の出演者も、見てる我々も、光さえ脱出できぬ宇宙から
しばらくの間 帰還できなくなってしまった。
…アタシは輝く…暗く暗く輝いて、光がなくても誰より輝ける自信がある…
痩せてたのは想定内。 みんな思ったはず…あら、意外とキレイ?
非常に瘦せこけた姿を想像してたから。
生の舞台に出てれば 
無慈悲なライトが 歳月を照らし出して 見せてしまう。
年明けの同局特番で、靴屋でも帽子屋でも、
自分に似合うあでやかなアイテムを
たちまち選び取る時の誇らかな女王的艶容は、
往年のではなく今を時めく大スターの華やぎそのもの。
見てる方も無駄に誇らしくなるほどキレイで、
それはそれで嬉しい永遠の妖女姿だった。
浅倉大介?デジタル星人の名前におったまげ、
異界へ拉致されつつ目を見開いた。
どう?ビックリしたでしょ……
尖った横顔でツンとすましながらも、物憂げな明菜も
歌ってる最中…束の間の時間は 解放されていたと思いたい。

イントロは確かに、アフリカ風味濃厚で気を持たせる音効&
鳥山雄司弾奏のスパニッシュ調ギターで、
一応明菜らしい展開の序幕ながら…
歌が始まったとたん、どこでもドアで
アフリカからユーロへ瞬間移動したよう!
溢れ出す電子音の雪崩は、明菜史上比類なき・ぶっ飛んだ珍曲!
だって「MOONLIGHT SHADOW」の小室哲哉さえも
少しは明菜に気を遣ったような音作りをしてたのに、
電子音が鳴り響くアレンジは、
キー音以外は 明菜の風格なんぞ顧慮せず
浅倉大介が ひたすら自分ワールドを繰り広げる独擅場……
第2次復帰の2002年「The Heat~musica fiesta~」『Resonancia』同様…スペイン語タイトルと知った時の
第3次復帰作も やっぱり特別な場所・スペインをまたやるのね、って云うような
Easyな憶測は 一旦ぶった切られてしまった。
今回は思わせぶりなタイトルで
お似合いのスパニッシュかとフェイントをかけ、
本当は明菜向きじゃない透明なサウンドも、
カバーアルバムで多用する半裏声を
エコーで装を凝らしてることも…
ぜ~んぶうそぶくようにそしらぬ顔で、
己を貫き通すように 迷いなく決然と歌い切ってる。
凄いperformanceですよ❣
淡雪のようだった「SWEET RAIN」から半年足らずで、
こんなに巧みな戦法を仕掛けてくるとは。

⤵皆さんに少しでも温かさが届けばいいなと思います⤵⤵⤵”
歌詞には熱っぽい言葉がほとばしってても、
表情のように暗い目をしたボーカルは内向き。逆に凍えているみたい。
でも内なる極地から燃える大地へと強く焦がれる念力が、
波動のように押し寄せてくるイメージ❣
その力によって、燠火(おきび)から
少しずつ炎が舞い上がり始めた今、この時に…
紅白なんて まだ無理じゃないのと
さんざん気を揉ませたあげくの、ファンを裏切る、嬉しい生まれたての炎。
温かさ…確かに届きましたよ❣
“熱い予感 終わりじゃない 私たちは ひとりじゃない”…
どの部分が明菜自身の作詞か判らないけど、
2009年「DIVA」、2010年「Crazy Love」から
リアル路線が依然続いてることも、嬉しい。
明菜自らが切り拓いた道。
希代の果敢な歌唱冒険家として、落ち着きながらも新たな情熱をまた見せてくれた。
それが一番、うれしい。
温かさ以上の、もっと熱い想い、しっかり届いている。
“赤く燃える この心で どんなことも 受けとめてく”
決意表明のような歌だから、半裏声でも、エコーでも、強く響くのです❣

▼〈営利目的のカルト宗教〉を根源的に発生させない対策
~現在の日本は 経済的・精神的な基盤が衰退している~
カリスマ的指導者(=教祖)への熱烈な崇拝対象となるような
〈営利目的のカルト宗教〉を根源的に発生させないためには
「精神的にも経済的にも追い詰められない社会」を創造出来れば良い。
私が今気づいた見解を以下に記述します。
政治が有効に発揮できる主な目的としては
経済的に追い詰められない社会の創造であり
経済的に追い詰められない社会の創造の成果から
精神的にも追い詰められない社会が発生する。
文化や芸能や芸術などを表現する楽しみとか
文化や芸能や芸術などの作品を鑑賞する楽しみとかは
心の感受性の心地良い豊かさを育むパワーとなり
この世の愛の拡大に寄与することになり
この世の平和創造の精神的基盤になると考えています。
いま現在の日本には…
この世の平和創造の精神的基盤となるような
文化や芸能や芸術などを
心おきなく・自由に表現し
心おきなく・自由に鑑賞するような
経済的・精神的余裕がありません。
いま現在の日本では…
平和創造の経済的・精神的な基盤衰退によって
世界のコロナ禍の状況も加わって
ヒトの豊かな心の感受性が減少傾向に向かっています。
平和創造の経済的・精神的な基盤衰退によって
世界のコロナ禍の状況も加わって
自分の心の感受性が減少傾向に向かっていることを
感じ取っているヒトは
文化や芸能や芸術などを
心おきなく・自由に表現し
心おきなく・自由に鑑賞すれば良いのです。
経済的な基盤衰退によって
コロナ禍の状況も加わって
自分の心の感受性が減少傾向に向かっていることを
感じ取る余裕がない貧困者層には
政治が救済の政策を実現する必要があります。

Re: 少ない経済的補償では 音楽業界が連鎖破綻する - 匿名

2022/11/12 (Sat) 09:28:34

14/11/17 12:18:53.66 .net
女子高生とみだらな行為 医師の苅部淳を逮捕「やっていない」 静岡
URLリンク(www.sankei.com)
2014.11.12 19:16
静岡県警掛川署は12日、高校の女子生徒(17)にみだらな行為をしたとして、
県青少年環境整備条例違反(淫行)の疑いで、静岡市駿河区、医師、苅部淳容疑者(32)を逮捕した。 掛川署によると「会ったことはあるが、みだらな行為はしていない」と容疑を否認している。 逮捕容疑は7月11日、静岡市に住む女子生徒を自宅に招き、18歳未満と知りながら、みだらな行為をしたとしている。 2人は7月、出会い系サイトを通じて知り合った。県警が別の事件の捜査中、女子生徒から事情を聴いた際に発覚した。
71:ななしのいるせいかつ
14/11/17 12:21:07.05 .net
>>70
焼津の病院勤務の医師 苅部淳 淫行容疑で逮捕 掛川署
URLリンク(www.at-s.com)
2014/11/13 08:20
掛川署と県警少年課は12日、県青少年環境整備条例違反の疑いで静岡市駿河区曲金、焼津市立総合病院の医師の苅部淳(32)を逮捕した。
逮捕容疑は7月11日、静岡市の女子高生(17)が18歳未満であると知りながら、自宅でみだらな行為をした疑い。 苅部淳容疑者は「一緒に食事をしただけ」と容疑を否認している。 同署によると、2人はスマートフォンの出会い系アプリで7月初旬に知り合ったという。
同署が別の事件の捜査で、女子生徒から話を聞いた際に発覚した。 同病院は「現在事実関係を確認している。事実であれば大変遺憾」とコメントした。
72:ななしのいるせいかつ

夜明け前が一番暗い、明けない夜はない yasuhiko higasi

2022/10/21 (Fri) 08:12:40

▼前口上
明菜からは…
Twitter開設&新たな個人事務所「HZ VILLAGE」の設立に向けて
御手紙の通知があり
なお その御手紙には 
アルバムFIXER収録曲・「Re-birth」の文字が
明菜本人手書きサインとして観ることも出来て嬉しい限りです。
この機会を祈念して
以下に
アルバムFIXER全体のレビューと
「Reーbirth」のレビューとを述べることにします。

【私が捉えたアルバムFIXER全体の感動の正体】~アルバムFIXER全体のレビュー ~
アルバムFIXER全体は、何回聴いても、新たな感動がある。
聴く側の心境の変化によっても、感動の形が変化する。
素晴らしい作品は、それがどんな分野の作品であろうと、このような体験をする。

私の感覚で捉えた範囲で、アルバムFIXER全体の感動の正体を述べたいと思う。
どの曲も、余計な力みがなく、無理して苦しそうに声を出すこともなく、
しかしながら、味気なく淡々と歌っている訳ではない。
どの曲を歌う時も、曲の歌詞の一節ごとに、その一節が訴える内容によって、
歌唱法や声質や強弱や情感を変えて、歌うのである。
例えば、女優が、時には観客に語り掛けるように、
時には空を見上げて呟くように、
情感を込めてセリフを云う様に、歌い上げる。
そう言えば、明菜さんは女優の才能もあった。
この才能が発揮された形である。
それ故に、どの曲でも、その一曲の中に、
多様で変化に富んだ味わいがあり、飽きることがない。
多様で変化に富んだ表現があるからこそ、
何回聴いても新たな感動があるし、
聴く側の心境の変化によっても、感動の形が変化する。

上記のような感動体験をしたので、
明菜さんは『自分の想いを歌で表現出来る喜び』を確実に獲得したと思った訳である。
その様に思った『もう一つの理由』は、アルバムFIXER全体において、
生身の明菜さんが、〔この「今まで生きてきた過程の一コマ」を出発点にして、
『影を纏うこれまでの私に さよなら 彷徨い迷っても 導かれてく 世界で 光と出逢える』と、
自分自身に向かって歌い掛け語り掛けながら、これからの人生を生きていきますと、
私達に向かっても、歌い掛け語り掛けてくること〕を感じ取ったからであります。

【『Re-birth(作曲:中土智博/ 作詞︰川江美奈子)』レビュー】
~夜明け前が一番暗い、明けない夜はない~
Ⅰ:プロローグ
明菜が歌唱する『Re-birth』には…
特に
明菜自身の『生の声の告白』そのものを
感じ取っていて…
私にとっては
冷静に
レビューを書き綴ることが できません。
そんな訳で
このレビューについては
感じるままに
溢れ出るコトバを書き散らすこととなって…
=あちこちに向かって
 宙に彷徨うコトバに
 追いつけないよ=
と思う方が存在することを 承知の上で
レビューを述べますので
御容赦ください!

Ⅱ:以下には
『Re-birth(作曲:中土智博 作詞︰川江美奈子)』の全歌詞①~㉘を 掲載します↓
①何度でも何度でも あなたを思うよ
②涙が枯れてもずっと あなたを思うよ
③生きていく ただそれを 私は選ぶよ
④あなたに返せるものは 愛だけしかないのだから

⑤目が覚めたならぜんぶ忘れて
⑥新しい私になれたらいいな
⑦そんなこと願っててもあなたは戻らない

⑧時が流れても薄れはしない
⑨悲しみだって在るのだということ
⑩ねぇ、誰にわかるでしょう?
⑪空を憎んでいた

⑫風に揺れるれんげの花
⑬あどけない面影を映しては消えるの
⑭お願い あと少しだけ そばにいて 歩き出す 私を見てて

⑮何度でも何度でも あなたを思うよ←①のRefrain
⑯涙が枯れてもずっと あなたを思うよ←②のRefrain
⑰生きていく ただそれを 私は選ぶよ←③のRefrain
⑱あなたに返せるものは 愛だけしかないのだから←④のRefrain

⑲今日いいことがひとつあったわ
⑳友だちが大きな夢を叶えた
㉑自分のことのようにとても嬉しかった

㉒“笑っていて” 遠い声が
㉓どこからか心を撫でていった気がした
㉔そうだね ふさいでたメロディ 目の前に 大空に いま解き放つ

㉕もう一度もう一度 あなたに逢えたら
㉖私が見てきたすべて あなたに話すよ
㉗生きていく ただそれを 私は選ぶよ←③のRefrain
㉘あなたに返せるものは 愛だけしかないのだから←④のRefrain

Ⅲ:私が感じ取った《『Re-birth』の奥底に流れているイメージ》を
   以下に述べます ~夜明け前が一番暗い、明けない夜はない~

①何度でも何度でも 『あなた』を思うよ
②涙が枯れてもずっと 『あなた』を思うよ
③生きていく ただそれを 私は選ぶよ
④『あなた』に返せるものは 愛だけしかないのだから

㉕もう一度もう一度 『あなた』に逢えたら
㉖私が見てきたすべて 『あなた』に話すよ
㉗生きていく ただそれを 私は選ぶよ←③のRefrain
㉘『あなた』に返せるものは 愛だけしかないのだから←④のRefrain

上述①②・「④=㉘」・㉕㉖の詞句にある『あなた』と云うコトバの解釈は…
受け取る人によって
さまざまな感じ方があると思います
明菜姫は…
 ファンのことを指して歌っていると
 感じる人もいるでしょうし
 お世話になった人を指して歌っていると
 感じる人もいるでしょうし
 家族や愛した人を指して歌っていると
 感じる人もいるでしょう
さて
私にとっては…
上述①②・「④=㉘」・㉕㉖の詞句にある『あなた』と云うコトバを
まるで  
 自分に向かって
 語り掛けてくるコトバのように
 感じてしまって…
私の涙腺も緩んできます
 =懐かしの箱庭から抜け出そう
   夢見ていた再生へと抜け出そう=
 と云うように
 感じてしまって…
私の涙腺も緩んできます

上述①~③の詞句を観れば…
明菜姫が歌う歌詞に
思うよ
とか
選ぶよ
なんて…
『よ』の付くコトバが あるのは
珍しいですよね?
=⑲今日いいことがひとつあったわ
  ⑳友だちが大きな夢を叶えた
  ㉑自分のことのようにとても嬉しかった"=
=③生きていく ただそれを 私は選ぶよ
  ④『あなた』に返せるものは 愛だけしかないのだから=
上述⑲~㉑・③~④の歌詞の中には…
  自分を取り巻く様々な不条理に苦しみ、
  嘆き悲しんでいた《かつての明菜姫》が
  もう
  いないようです
=③生きていく ただそれを 私は選ぶよ
  ④あなたに返せるものは 愛だけしかないのだから=
上述③④の歌世界は
もちろん
かつての「難破船」「水に挿した花」「帰省 ~Never Forget~」や
カバーアルバム「歌姫」での、悲哀と寂寥に明け暮れる世界とは全く違う歌世界。
=自分を見つめ直し、
 自分で自分を癒すという"地獄の業火に焼かれる悲劇のヒロイン・明菜姫=の物語は
もう完結したかのような歌世界。
今の私は、
自らの苦い経験を表現・芸術に昇華して、
聴衆を救済する天界の女神に生まれ変わったのだと、
それこそが
私にとって本当の意味での「再生」だったのだと、
優しく包み込むように歌っています。

穏やかで優しい曲です。
明菜姫の優しい歌声が 心に染みてきます。
特に『Re-birth』の優しい歌声には
こわ張った心が解きほぐされて
癒されてゆきます
ハープとヴァイオリンの音色が包み込むような演奏があり
シンプルなサウンド構成で
明菜姫の歌声が強調されています

⑤目が覚めたならぜんぶ忘れて
⑥新しい私になれたらいいな
⑦そんなこと願っててもあなたは戻らない


⑫風に揺れるれんげの花
⑬あどけない面影を映しては消えるの
⑭お願い あと少しだけ そばにいて 歩き出す 私を見てて

=⑧時が流れても薄れはしない
  ⑨悲しみだって在るのだということ
  ⑩ねぇ、誰にわかるでしょう?
  ⑪空を憎んでいた=

かつての私には
上述⑧~⑪の詞句のように
悲哀と寂寥に明け暮れるときがありました
けれども
この悲哀と寂寥とが
やがて美しい命の輝きへと
昇華されてゆくと云うような
Process(=時間の経過に伴って移り変わる過程)が       
この『Re-birth』で表現されているのです!

⑤目が覚めたならぜんぶ忘れて
⑥新しい私になれたらいいな
⑦そんなこと願っててもあなたは戻らない


⑫風に揺れるれんげの花
⑬あどけない面影を映しては消えるの
⑭お願い あと少しだけ そばにいて 歩き出す 私を見てて

⑲今日いいことがひとつあったわ
⑳友だちが大きな夢を叶えた
㉑自分のことのようにとても嬉しかった

㉒“笑っていて” 遠い声が
㉓どこからか心を撫でていった気がした
㉔そうだね ふさいでたメロディ 目の前に 大空に いま解き放つ

上述⑤~⑦の詞句や
上述⑫~⑭の詞句や
上述⑲~㉑の詞句や
上述㉒~㉔の詞句などには

思い切れぬ切ない未練を
ありのままに認めながらも
それはそれとして
今の状況を冷静に受け取っており
それどころか
《『Re-birth』の奥底に流れているイメージ》を感じ取れば…
過ぎ去った過去については
=良かったことは 良かったこととして 
 記憶に留めておく=と思い切りながら 
『これからは 肩肘張らず 
 素直に強く生きていこう』と云う方向へ向かって
 《前向きな意志的感情》が生まれていくような 
 Process(=時間の経過に伴って移り変わる過程)が
 表現されているのです。

さて
Ⅰのプロローグの中で
私は
=明菜姫が歌唱する『Re-birth』には…
  特に
  明菜姫自身の『生の声の告白』そのものを
  感じ取っていて…
このレビューについては
  感じるままに
  溢れ出るコトバを書き散らすように
  レビューを述べます=と《予告》しました
それゆえに
上述《予告》に沿って
以下のー ー内文面を述べることにします
ー明菜姫自身の視点から把握すれば…
  明菜姫自身が
  普段口にできない様々な思いを
  歌唱表現活動を通して発散することで
  《『過去や現在の悲しみの行き先』を見つけること》になって
  心の中の『わだかまり』が
  解消する方向へ向かうことになり
  究極的には
  心身を浄化させて欲しいと切望しています
  この『Re-birth』の歌唱表現が…
  明菜姫自身の心身を浄化させるStart(=出発点)になることを
  心底から 切望しています
  『Re-birth』の優しい歌声を聴いていると
  私自身の《こわ張った心身》が解きほぐされて
  癒されてゆきます
  そんな訳なので…
  私だけが癒されて
  歌唱してる明菜姫自身が
  心身を浄化させるStart(=出発点)に なって頂かなければ
  私にとっては
  悔しくて耐えられない気持ちです
 『夜明け前が一番暗い、明けない夜はない』と思って
  歌唱してる明菜姫自身が
  心身を浄化させるStart(=出発点)になって頂けるように
  心底から 祈っておりますー

明菜の歌唱表現活動の源泉 yasuhiko higasi

2022/10/20 (Thu) 01:15:20

【明菜の歌唱表現活動の源泉は❓】
~明菜の歌唱から感じ取れることは 『愛』を 共感できること!~
~舞台上の明菜は  仮想現実の世界で生きている~
~《明菜の歌表現活動の源泉》は❓~
▼前口上
2022年10月の日本社会は
まさにカオス(Chaos)状態。
いままでにおいては…
カオス(Chaos)を和訳すれば
「混沌」「無秩序」といった意味になり
個々の単位で見れば
規則に従った秩序ある変化を見せるが、
総体で見れば
複雑で不規則な予測のできない変化を見せる」ような
現象のことでありました。
ところが今現在においては…
コロナ禍・統一教会・残酷な不況によって
政治世界もカオス(Chaos)に陥り
個人の経済健康生活もコロナ禍に襲われ
個人の感情も乾ききって
人間らしい喜怒哀楽の自由も奪われ
個々の単位で見ても
人間らしい喜怒哀楽が乱れに乱れて
日本社会全体も乱れに乱れて
予測できない未来に
人間感情も乱れに乱れて
身も心も傷ついていて…
いままでの日本では
死なない程度の食料(パン)と
それなりの娯楽(サーカス)で
政治に無関心の人々を創り上げることが
民衆を抑える為の基本であった。
その二つを与えておけば民衆は大人しい。
しかしながら
今現在の日本では…
食料(パン)も減少傾向にあり
娯楽(サーカス)も味わう時間が減少傾向にある
そうであるからこそ
今現在の日本では…
国全体の危険水域が増すばかり
危険水域を超えれば
暴発の濁流が
国全体を沈没させる
まさに日本沈没が現実になる

1/2▼前口上の状態に陥った人間感情は何を求めたくなるか❓

~前口上の状態に陥った人間感情には 『愛』の共感が 必要~
コロナ禍・統一教会・残酷な不況によって
政治世界もカオス(Chaos)に陥り
個人の経済健康生活もコロナ禍に襲われ
個人の感情も乾ききって
人間らしい喜怒哀楽の自由も奪われ
個々の単位で見ても
人間らしい喜怒哀楽が乱れに乱れて
日本社会全体も乱れに乱れて
予測できない未来に
人間感情も乱れに乱れて
身も心も傷ついていて…

そんな精神状態であるからこそ
白魔女明菜の歌唱で
みずみずしい感情を取り戻しませんか?
日本社会全体も乱れに乱れて
人間感情も乱れに乱れて
身も心も傷ついていて
新型コロナウイルス拡散もあって
強制的に
多くの人が 《孤独と不安》を受け入れる状態
そんな精神状態であるからこそ
明菜歌唱に浸って
《乾いた感情》が
みずみずしい感情を取り戻せるようにして
《今》を生きている《現在の一瞬》の中で
生きていると云う感覚を
全身で体感できる時間を
生きる歓びを
感じ取っていけるような
みずみずしい感情を
取り戻しませんか?

前口上の状態に陥った社会では…
奪い合いではなく
頭ごなしの説教や激励でもなく
『愛』の共感が 必要です。
《補償》と云う『愛』の奪い合いではなく
《補償》と云う『愛』を分け合い
支え合うことが 必要です!

明菜の歌唱から 感じ取れることは…
頭ごなしの説教や激励でもなく
『愛』の奪い合いでもなく
『愛』を 分け合って
『愛』を 共感できること!

2/2▼前口上の状態に陥った人間感情は何を求めたくなるか❓
私の場合は…
以下に記述することを 求めたくなります。
このレビューの私は
以下の記述の賛同者を求める立場です❣
以下の記述に御賛同頂ければ幸いであります❣

[舞台上の明菜は 仮想現実virtual realityの世界で生きている]
《私たちの肉体も
心も
思考も
感情も
すべて幻想(=夢幻)であり
宇宙のあらゆる存在には
本源的な実体がない
この世界も
自分の存在も
生も死も
すべては「空」であって
単なる現象にすぎない
そう云う訳であるから
自分の生についても
死についても
こだわったり
執着したりする必要は
全くないのです》
と云うように
まるで
私自身が
《悟り切った人間》のような立場で
偉そうな事柄を
長々と述べました

けれども
しかし
誤解しないで下さい

私は
心の癒しを求めて
明菜様の歌唱を
聴きまくり
明菜様の歌姿と歌唱を
視聴続けているのです

私は
《悟り切れない人間》であるから
自分の内なる声と対話する中で
《自分の内面に潜む鬱積(うっせき)した感情》を
《吐き出したいと云う欲求》が
心の奥底にあることに気づき
《吐き出したいと云う欲求》が溢れ出て
それが
《抑えられない表現衝動》になって
自分の心を強く突き動かすことになって
つたないコトバで
詩文を書き付けている訳です
そう云う詩文作成活動を続けることで
《カタルシスの体験=内面に潜む鬱積(うっせき)した感情を浄化する体験》をしたいと
渇望しているのです

コトバで表現することで
《カタルシスの体験=内面に潜む鬱積(うっせき)した感情を浄化する体験》が
100%出来る訳ではなく
そんなとき
心の癒しを求めて
明菜様の歌唱を
聴きまくり
明菜様の歌姿と歌唱を
視聴続けているのです

【明菜の歌唱表現活動の源泉は❓明菜の「空想傾向」(fantasy proneness)にある】

● プロローグ
『表現したいと云う欲求』が
心の奥底にあって
『表現したいと云う欲求』が溢れ出て
それが
《抑えられない表現衝動》になって
自分の心を強く突き動かすことになって
唄表現活動が継続出来るのです

Ⅰ私は何故明菜worldで癒されたのか?

ⅰ:過去の事や今までの経験
  たとえば
  「あのとき、ああ言えばよかった」と云う後悔とか
  「あのとき見た景色は もう見れないんだなぁ」とか
  そう云う気持ちを掘り返して
  歌唱表現をしている雰囲気があって
  ある意味
  どこにも行き場のない自分の気持ちが
  『明菜ワールドの世界』に投影されていることがあって
  だからこそ
  落ち込んで しゅんとなっている人に
  無理やり前を向かせたり
  元気づけるのではなくて
  その人が《日常で表に出して言い表せないような負の感情》だったり
  《切なさや寂しさを肯定して寄り添えるもの》を
  明菜の歌表現の中に感じてしまって
  視聴している私自身が
  《カタルシスの体験=内面に潜む鬱積(うっせき)した感情を浄化する体験》をできるのではないかと
  感じ取っています

ⅱ:ⅰの様な《カタルシスの体験=内面に潜む鬱積(うっせき)した感情を浄化する体験》をした私は
  《愛の儚さ・虚しさを表現する芸術⇒愛の儚さ・虚しさを表現する明菜ワールド⇒仮想現実virtual realityの世界⇒夢や幻想の世界》こそが
  人の心を癒す力になっていると思っています
もちろん
 《仮想現実virtual realityの世界⇒夢や幻想の世界⇒芸術表現世界⇒芸能表現世界》に感動できる人達にとっては
そのようになると思っています←既に述べた[舞台上の明菜は 仮想現実virtual realityの世界で生きている]の中で
《舞台上の明菜》と《仮想現実virtual realityの世界》の関連性を詳細に説明しました

ⅲ:けれども、誤解しないでください。
 もちろん、虚構表現世界・芸術表現世界・芸能表現世界に感動できない人達を否定しているのではありません。
 これは好みの問題であり、人それぞれの趣味は千差万別ですから。

Ⅱ明菜には何故溢れ出る感受性があるのか?(私は このテーマについて 既に述べましたが 今回は 別の視点から書き綴ります)

①そもそも、「空想傾向」(fantasy proneness)とは、米国の心理学者、WilsonとBarberが発見した、ファンタジーにのめり込みやすい性格のことです。
ストレスのかかる体験を沢山して、それを深く感じ取った人は、「空想傾向」(fantasy proneness)になりやすいと思います。かく申す私がそうでした。
②「空想傾向」(fantasy proneness)が続いているときは
  感受性の扉が開きやすく
  表現したいもの(⇒外に吐き出したいもの⇒空想)がすでに心の中にしっかり存在しているので
  表現する方向性が捜しやすいと思います。
  このように、「空想傾向」は感受性と関連していて、表現活動の源泉になると思います。
③明菜の場合も、ストレスのかかる体験を沢山して、それを深く感じ取ったので、「空想傾向」(fantasy proneness) になりやすかったと思います。

このように、「空想傾向」は、《明菜の溢れ出る感受性の原因》となり
《明菜の歌表現活動の源泉》になっていると推測します。

④自分の内なる声と対話し
  抑えられない表現衝動によって
  自分が掴んだ唄の心を
  具体的なカタチで表現するとき
  唄の奥にある《気分・感情・情感・メッセージなど》が
  視聴者に伝わって来るのです

⑤プロの表現者には
  誰かに伝えたくて
  誰かに届けくたくて
  自分が望む表現を
  具体的なカタチで表現したい欲求がある

  自己実現とか
  重要性を知らしめるとか
  そんなレベルではなくて
  ただ表現する、ということに
  渇望している瞬間に
  素晴らしい表現が産まれる

  表現活動は
  孤独な作業である
  自分の内なる声と対話し
  抑えられない表現衝動によって
  表現活動が継続できる

  コトバで表現したいのならば
  コトバを選び
  唄で表現したいのならば
  歌唱表現を選び
  自分の内なる声と対話し
  抑えられない表現衝動によって
  ただ表現する、ということに
  渇望している瞬間に
  素晴らしい表現が産まれる

明菜の人間性・歌唱表現・歌唱姿 yasuhiko higasi

2022/10/14 (Fri) 09:43:36

❤️明菜の人間性・歌唱表現・歌唱姿❤️
 ~『LIAR』レビュー(『難破船』との比較)ETC~↓↓↓
---------------------------------------------------
➊【明菜歌唱の人間性・歌唱表現論・歌唱の立ち姿からの感触ETC…】

明菜が歌唱するときの立ち姿が
かもし出す雰囲気の美しさ、
かもし出す品の良さに感動

明菜が喋ってる時の雰囲気と
明菜がマイク持って歌唱するときの急変ぶりが凄い。

年齢を重ねていろんな事を経験すると
歌に明菜の人間性が溢れ出る。
こんなにも心を込めて歌える人は
今や貴重な存在。

ウィスパーボイスと呼ばれる、囁くような声から、張りのあるシャウトまで
女の子のような可愛さから、大人の妖艶さまで
様々なアーティストの様々なジャンルの楽曲に、応える表現力
時に儚く、時には力強く魅せるその歌唱姿。

また、MCの時のひょうきんさや
シンガーとしてだけではなく、
演技者として、コント等にも
その才能を発揮していたのは、周知の事実。

パフォーマーとしても、抜きん出ているのは、
様々なコンサートでも証明されている
望みうるならば
演技者として、
何かしらの、お姿を再び見せていただけたなら…

歌う声を聴いていると とても癒される。
どんな歌を歌っても 「品がある」のが凄いと思う。
1曲1曲全力で歌い、その曲へ感情移入し
その歌のストーリーのなかに
私たちを連れて行ってくれる明菜。
だけれど、
だれよりも繊細で壊れやすい心の持ち主である明菜。

❷【『LIAR(作詞・白峰美津子/ 作曲・和泉一弥)』レビュー】
 1989年5月18日ザ・ベストテンTV放送分について
~感動の根源は 《魂が溢れ出す歌い方》にある~
▼『LIAR(作詞・白峰美津子 作曲・和泉一弥)』歌唱全歌詞↓
⁂《前奏》は かなり長めに演奏されます
①Platinaの月明かり
②こんな切なさを
③夜更けのせいだと思ってた
④一つつく嘘でまた
⑤一つ嘘をつく
⑥勝手な人など許せない

⑦Ah~霧のように
⑧行方も残さず
⑨貴方が消えてた

☆⑩ただ泣けばいいと思う女と
☆⑪貴方には見られたくないわ
☆⑫次の朝は一人目覚める
☆⑬愛は悪い夢ね~~

ここで《間奏》が 演奏されます
⑭退屈な画面から
⑮誰か叫んでる
⑯見知らぬ顔したActress
⑰窓の隅塗り替えた
⑱ビルが光るけど
⑲錆びてく心は変わらない

⑳Ah~ 自分よりも大事な誰かが
㉑居るなら教えて

☆㉒もう貴方だけに縛られないわ
☆㉓蒼ざめた孤独選んでも
☆㉔次の朝は一人目覚める
☆㉕それが自由なのね~~

ここで《間奏》が 演奏されます
☆㉖ただ泣けばいいと思う女と
☆㉗貴方には見られたくないわ
☆㉘次の朝は一人目覚める
☆㉙愛は悪い夢ね~~~
《終奏》 は 《前奏》よりも 少し短めに演奏されます

▼『LIAR(作詞・白峰美津子/ 作曲・和泉一弥)』レビュー
1989年5月18日ザ・ベストテンTV放送分では…
『LIAR 』の主旋律へ入る前に
⁂イントロ(前奏)として
冒頭から約18秒位まで…
これから後の
ドラマティックな展開を 予感させるように
観客の心を 一気に「つかむ」ように
《グリーグ作曲・『ピアノ協奏曲 イ短調 作品16第1楽章』》の
《ピアノソロ・冒頭メロディー》が
《情熱的なピアノの乱れ打ち》が
そのまま 哀愁を込めて…
かなり激しく 鳴り響きます!
まるで
これから始まる悲劇を
予感させるようなメロディーです!

冒頭から約18秒位まで…
《グリーグ作曲・ピアノソロ・冒頭メロディー》が
そのまま かなり激しく 鳴り響いたあとで…
『LIAR 』主旋律の演奏が始まり
《24歳頃の『明菜の歌唱』》が スタートします。
舞台を見渡せば…
ピアノの鍵盤のような階段に
《harp竪琴(たてごと)》を象徴するようなオブジェがあり
まるで 透明人間が演奏しているように…
手前の自動演奏のピアノの鍵盤が
かなり激しく 動いています。
この日の明菜は
《透かし模様のレースの『白い衣装』》です。
《前奏》で演奏される《哀愁あふれるメロディー》が
 かなり激しく鳴り響いた後なので…
ー①Platinaの月明かり
 ②こんな切なさを
 ③夜更けのせいだと思ってた
 ④一つつく嘘でまた
 ⑤一つ嘘をつく
 ⑥勝手な人など許せない~ー←この①~⑥のフレーズにも

ー⑦Ah~霧のように
 ⑧行方も残さず
 ⑨貴方が消えてたー←この⑦~⑨のフレーズにも

ー⑭退屈な画面から
 ⑮誰か叫んでる
 ⑯見知らぬ顔したActress
 ⑰窓の隅塗り替えた
 ⑱ビルが光るけど
 ⑲錆びてく心は変わらない←この⑭~⑲のフレーズにも

ー⑳Ah~ 自分よりも大事な誰かが
 ㉑居るなら教えて←この⑳~㉑のフレーズにも

去って行った《男の面影》に… 
切ない余韻を 感じながらも 
去って行った《男の面影》から
別れを目指すような予感が 
暗示されているけれど…
情感を込めて 
①~⑥のフレーズや⑦~⑨のフレーズや
⑭~⑲のフレーズや⑳~㉑のフレーズを
歌っているプロセスの中で
じんわりと盛り上がって来るような
《悲劇のドラマ性》があります。
①~⑥のフレーズや⑦~⑨のフレーズや
⑭~⑲のフレーズや⑳~㉑のフレーズについては
おさえながら 歌唱しているけれども…
おさえながら歌唱するプロセスの中に
《奥深く潜む辛い感情を 耐え忍んでいる感触》が 受け取れるので
そうであるからこそ…
《☆サビ箇所》=☆⑩ただ泣けばいいと思う女と
        ☆⑪貴方には見られたくないわ
        ☆⑫次の朝は一人目覚める
        ☆⑬愛は悪い夢ね」=☆⑩~☆⑬の歌唱や
《☆サビ箇所》=☆㉒もう貴方だけに縛られないわ
        ☆㉓蒼ざめた孤独選んでも
        ☆㉔次の朝は一人目覚める
        ☆㉕それが自由なのね~~=
        ↑☆㉒~☆㉕の歌唱や

《☆サビ箇所》=☆㉖ただ泣けばいいと思う女と
        ☆㉗貴方には見られたくないわ
        ☆㉘次の朝は一人目覚める
        ☆㉙愛は悪い夢ね~~~=
        ↑☆㉒~☆㉕の歌唱によって
        ∽『明菜の情念波動』∽が
        心の奥底に 沁み込んでくるのです!
 上述《☆サビ箇所》=☆⑩ただ泣けばいいと思う女と
           ☆⑪貴方には見られたくないわ
           ☆⑫次の朝は一人目覚める
           ☆⑬愛は悪い夢ね=のフレーズは…
  まるで 明菜本人が書いたかのような
  まるで この後の悲劇を予感させるようなフレーズ。

ちなみに
明菜の歌は…
歌詞が重要な役割を演じる曲が多い。
メロディーだけでも 充分に 聴けるけれど
歌詞の意味を考えながら聴くと
いっそう良さが浮き立つ。
『LIAR』は そんな曲の一つである。

「④一つつく嘘でまた⑤一つ嘘をつく」
「⑥勝手な人など許せない」
「⑦Ah~霧のように⑧行方も残さず⑨貴方が消えてた」
「⑩ただ泣けばいいと思う女と
 ⑪貴方には見られたくないわ」
「⑫次の朝は一人目覚める」「⑬愛は悪い夢ね~~」
↑さすがに 上述④~⑬等のフレーズは 
《女性作詞家の素晴らしさが出ている表現》であると…
 思います!
 男性の感覚では《表現出来ないフレーズ》であると…
 思います!

▼『LIAR』の《再追加改訂版・再レビュー》をする理由
~このレビューの末尾箇所に
 ネット上のレビューを記述したかったことや『LIAR』と『難破船』との比較を記述したかったこと
 &このレビューの冒頭箇所に
 明菜の人間性・歌唱表現・歌唱姿を記述したかったことなどがあるからです~

《TVの歌のセット》の舞台では
イントロのピアノに合わせて
鍵盤のランプが流れるように点灯する…と云うのがあって
これは一番好きなセットです。
ザ・ベストテン史上1、2を争うほどの
《白く美しい豪華なセット》。
あまりにも 美しいセットの中で…
「☆㉒もう貴方だけに縛られないわ
 ☆㉓蒼ざめた孤独選んでも
 ☆㉔次の朝は一人目覚める☆㉕それが自由なのね~~」
「☆㉖ただ泣けばいいと思う女と
 ☆㉗貴方には見られたくないわ
 ☆㉘次の朝は一人目覚める
 ☆㉙愛は悪い夢ね~~~」ーなど
《上述☆㉒~☆㉙の詞句を歌う明菜の歌唱》には…
《ストレートな情感》が あふれ出ています!
冒頭の《情熱的なピアノの乱れ打ち》にしても…
まるで
明菜が 髪を振り乱して
鍵盤を叩いている姿を 思い浮かべてしまうほど!
そうであるからこそ…
私にとっては
《この舞台で歌う『明菜の歌唱』》が
今でも 蘇って来たりして…
このレビューを 再び書き綴っています!
このレビューでは 
できるだけ新たな視点を取り入れながら
私なりに 《追加改訂版レビュー》を目指しましたが
それが充分に実現しているかどうかについては…
この拙いレビューを読み取っている方々に
判断して頂くしか ありません。

▼さて 1989年5月18日TV放送分の「LIAR」では
痛々しいほどに 言葉が生々しく届いてきます。
可憐で傷ついた女性のようで、目を奪われます。
明菜姫の可憐さ・切なさ・苦しそうに立っている姿が
際立っているように感じます。
そうであるからこそ
今となっては…この後の悲劇を予感させるようで…
1989年5月18日TV放送分の「LIAR」では
《☆サビ箇所》=☆⑩ただ泣けばいいと思う女と
        ☆⑪貴方には見られたくないわ
        ☆⑫次の朝は一人目覚める
        ☆⑬愛は悪い夢ね=
        ↑☆⑩~☆⑬と云うフレーズについては
まるで
明菜姫本人が 
書き綴った歌詞のように 感じてしまいますと…
既述した訳です!

初めて 1989年5月18日TV放送分の『LIAR』を
YouTubeで視聴したとき
私は60代であり
明菜姫を襲った 《この後の悲劇のこと》も
知らなかった。
…でも《1989年5月18日TV放送分の「LIAR」》については
今でも 強く印象に残っているのです。

明菜姫が その時々に歌う「LIAR」を視聴した後では…
もちろん その時々に歌う「LIAR」にも感動するけれども
そのあとで…上述のような
《「LIAR」のレビューそのままの感動》も
 蘇ってくるのです。

《この後の悲劇のこと》を知ったのは
私が65歳位のときだったかな?
いま私は78歳の老爺であり
…だから 《この後の悲劇のこと》は
今の私にとって
《遠い昔の・思い出したくない出来事》に 
 なっています。

▼この『LIAR』歌唱では…
 痛々しいほどに 
《言葉そのもの》が 生々しく届いて来る。
 明菜が 涙を我慢しながら歌うような声も
 《その痛々しい雰囲気》を 助長させている。
 「㉕それが自由なのね~~」なんて…言っても、
 強がっている自分こそが
 「LIAR(嘘つき)」だと…云うように…
 《そんな自嘲的心情》さえも 伝わってくる。
 きっと
 《当時の明菜自身の心情》に
 《共鳴し過ぎたこの曲》によって
 《明菜自身の『強い自意識』》は…
 初めて 昇華されていて
 明菜自身が 
 心の奥底の中で 
 耐え忍んでいる《切なく辛い感情》を 
 観客に向かって 表現することで
 《明菜自身の『切なく辛い感情』》も
 自然に…無意識のうちに…
 初めて 昇華されることになって 
 《切なく辛い感情》の呪縛から
 解放されたのかも…とさえ 感じてしまう。
 「①Platinaの月明かり」と云う出だしから、
 鮮やかに 情景が 浮かんで来ます。
 「④一つつく嘘でまた⑤一つ嘘をつく
  ⑥勝手な人など許せない」と云うフレーズは、
 《当時の明菜の心情》と共鳴して…
  目が…うるんで来ます。

▼サビ箇所の「☆⑩ただ泣けばいいと思う女と
     ☆⑪貴方には見られたくないわ」とは…裏腹に、
         泣いている明菜がいるようです。
         単純な失恋ソングではなく、
         未練・諦め・口惜しさなどが
         混在する気持ちについて… 
         見事に 歌唱表現を しています。
この「LIAR」は 
テレビでも 何回か 歌いましたが、
今から振り返れば…
顔の表情が 《切なく辛い感情》で…あふれていて
尋常でない雰囲気を 
感じ取っていました。
それでも この歌唱は 
圧倒的に 存在感があって
まさに 歌姫そのものでした。

▼~感動の根源は《魂が溢れ出す歌い方》にある~
《切なくて、哀しみに満ちた表情》でも
《こんなにも美しい夢幻世界》へと 向かわせる。
この歌は とても切なくて哀しいけれど
《詩情を持つ心》が あれば
《『詩的な味わい』を 感じ取れる心》が あれば
《切なくて、哀しみに満ちた表情》を 受け入れて
《こんなにも美しい夢幻世界》へと 向かわせる。
《魂が溢れ出す歌い方》の中に… 
《切なくて、哀しみに満ちた表情》が あって
《切なくて、哀しみに満ちた表情》の中にも
明菜の『まごころ』から
あふれ出す『魂の輝き』が あるので…
感動の根源は… 
《魂が溢れ出す歌い方》に あるのです! 
まさに
明菜は… 
歌う詩人 であり
歌う女優 である。

▼『LIAR(作詞・白峰美津子/ 作曲・和泉一弥)』
~明菜ファンのネット上レビュー集~
音がとても印象的な曲ですね。
ただならぬ予兆を感じさせるイントロのピアノの旋律。
明菜さんのボーカルの背後に張り付いて離れないスネアドラムのリズム。
不安な心を弄びせせら笑うかのような間奏のヴァイオリンの音色。
さしもの明菜さんの歌声も堪えきれずに壊れてしまいそう。
聴いたら切なくなるのがわかっているのに、また聴いてしまう名曲です。

イントロのピアノが不吉な呪文のように聴こえてしまう。

80年代後半、中森明菜は毎週のように歌番組に出演していた。
明菜が出ると、緊張した歌前トーク、歌唱の調子、歌唱後の表情などから、観ている方も緊張し、その時々の明菜の心境をくみ取ろうとした。
というか、明菜の感情に同調してしまったものだ。本人の真意はわかるはずなどないが、勝手にそのつもりになっていたものである。
応援するから同調してしまうのか、同調するから応援してしまうのかはわからない。
視聴者をそのように歌の世界に引き込んでしまうのは、明菜の凄さであろう。

明菜は、シンガーソングライターではないので、ほとんどの曲は自作ではないのだが、歌に想いを込めて、歌詞以上のものを伝えようとする。
もしかしたら、それは特定の人に向けてられているのかもしれないと思うことさえあった。
声だったり、表情だったり、振りだったり、衣装だったりー。
なので、まるで中森明菜が自分の心情を歌っているかのように聴こえてしまう。
この歌についても、そうなのかもしれないと思ってしまうから辛くていたたまれないのだ。

「Liar」は、明菜さん、、(こころが)泣いているように思えました。。なーんか、必死で感情を抑えて歌っているような。。(歌の上手いはずの明菜さんが。。)心に正直な女性だから。。(いろいろあるんだろーな。。きっと。。)んー、いくつになっても、女性の気持ちはわかりませんがー。

終盤の歌唱、普通は最後のサビ、一番盛り上げるものですが
「ただ泣けばいいと」は、ちょっと沈んだ感、
「思う女と」なんて語尾がまるで泣くのをこらえてるように
不安定。録りなおしでもおかしくない位。
「一人目覚める」まで来ると気を取り直したかのように
声を張って。
この不安定感がより一層、聴き手の切なさを駆り立てる。
計算ずくだったら恐ろしいけど、さすがにこの時は
明菜さんの心痛そのものだったのではないかな。

この曲は悲痛な心の叫びを思わせるピアノのイントロから惹きつけられますね
歌詞は、一人部屋の中で淡々と目に映る情景をどこか上の空で見つめる女性の視点で始まり、

>ただ泣けばいいと 思う女と 貴方には見られたくないわ

このサビから、私はこの歌詞の主人公の命がけの恋を感じます
ただ泣いて終わりじゃない 
涙を流すだけではこの恋心は消す事など出来ない なんなら私のすべてなんだと、と

>もうあなただけに 縛られないわ 蒼ざめた孤独選んでも
>次の朝は 一人目覚める それが自由 なのね

辛い恋に縛られて苦しむ事と、孤独になる事。この主人公は孤独を選んだが、ここまで恋に生きた女性の事。生き方が分からなくなってしまうのではないか、と
いきなり一人になって、自由になっても 生きる目的の大部分を失ったまま放り出されてしまうようなもの
彼女にとってのこの自由は、本当の意味での自由ではなく「蒼ざめた孤独」なんですよね

>愛は 悪い夢ね
夢だったと思う程あっけなく、突然終わってしまった虚しさ、やるせなさ
あれだけ自分の全てだと思っていた恋が跡形もなく消えてしまい、自嘲しているかのような

明菜の歌声も情感が乗っていて、全体的に色気がありますね 心象を淡々と歌い、サビで一気に想いを爆発させる感じが好きです
歌詞、メロディー、歌共に恋に生きた女性を描いた名曲ですね

あと、明菜ファンのレビューを読んでLIAR=相手の事だけではなく、主人公自身の強がりも含めているんだ という評にすごく納得しました 
もし機会があれば今の明菜ならこの歌をどう歌うか、すごく楽しみです!


中低音域の中で細かな音階の上げ下げと長短と強弱のつけ方、メリハリの利いたメロディに研ぎ澄まされた言葉の一つ一つが紡がれていく… 決して難曲ではなくても、歌えば何人たりとも同じ境地に立つことができない。そこがまさに彼女が “孤高” たる所以なのだろう。

彼女の歌手人生において、図らずも大きな節目となったこの楽曲のパフォーマンスについて「思い詰めたように見える」「悲しげで痛々しい」といった言葉が、度々聞かれることには違和感を覚える。
なぜなら当時の彼女は まさに絶頂期を迎えようかというプロの表現者であり、
おそらく彼女がそれまで研鑽の末に獲得した実力をもってすれば、個人的な感情など胸の奥底にしまい込みんで、別の人格を憑依させることぐらい事も無げにやってのけるはずだからである。
描いたのは悲恋だが、どん底ではない
歌詞を深読みするというならば
「LIAR」は言うまでもなく悲恋を描いた楽曲である。
嘘を重ねて不貞を働く男を吹っ切ろうとする女性目線で描かれており、
状況を言えば“どん底” というよりは、ヒロインのメンタルはまさに立ち直る寸前にある。

作詞を担った白峰美津子は “アニソン” 等を多く手掛けている作家であり、
どちらかといえば明るい作風が目立つ。
彼女の起用理由を知る由はないが、ラインナップを見ると、実はJ-POPジャンルの作品においては、悲恋を扱ったものが多いことに気付く。

メンタルが “どん底” というなら、
むしろ「LIAR」の2年前にリリースされた「難破船」こそ相応しい。
シャンソンの影響が色濃い加藤登紀子の作品だけに、その世界観は重苦しいもの悲しさに満ちている。
これを明菜に歌うことを勧め“悲恋歌の女王”に仕立て上げた慧眼には恐れ入る。

もう何年もの間、メディアから姿を消し、その動静が全く伝わってこないというのに、これほど表舞台への復帰を切望されるアーティストが他にいるだろうか。
それは彼女が、我が身を削ってまで望んだかも知れない偉大な存在に自ずと近づいているようでもある。

今彼女に一言伝えられるなら、もうこれ以上苦しい思いまでして、無理に表舞台に戻ることはない… と言ってあげたい。
僕らの手元には既に彼女が残してくれた多くの作品があるからだ。その中でも「LIAR」は彼女の全盛期を締めくくり、彼女の功績にいっそうの輝きをもたらしてくれるような一曲だったと思う。

現実の明菜は『LIAR』の中の強く耐える女性ではなく、文字どおり脆弱(ぜいじゃく)な『難破船』だった。
明菜は『LIAR』の世界の強く耐える女性になろうとしたけれども
明菜の心は脆弱(ぜいじゃく)な『難破船』の中で苦しみ続けているのでしょうか?

▼難破船の背景&シンガーとして向き合った多彩な作家陣の楽曲と、探り続けた表現の可能性
加藤登紀子が「難破船」を中森明菜に提供することになったいきさつについては、すでに本人も語っている。22歳の誕生日を祝う言葉に対して、中森明菜が屈折した反応をするのを加藤登紀子がテレビで見た。その姿に共感した加藤は、仕事で一緒になった時に「よければ歌ってみませんか」と、「難破船」のカセットテープを明菜に渡した。その時の中森明菜に、加藤登紀子はこの曲をつくった時の自分に通じるなにかを感じたのだろう。

加藤登紀子の申し出に対するオフィシャルな返事は無かったが、地方の小さな町で行われた加藤の次のコンサートに中森明菜からの花が届いたという。そして1987年9月に、中森明菜の「難破船」が発売された。加藤登紀子はしばらくの間、この曲を自分が歌わないことで中森明菜をバックアップする姿勢を示した。

「難破船」が中森明菜にとって大きなエポックとなった作品であることは間違いないだろう。1982年のデビュー曲「スローモーション」以降、彼女は年間3~4枚のペースでシングルをリリースしている。それは、テレビの歌番組を主戦場にヒット曲レースを行っていた当時の歌謡界の人気歌手としては珍しいことではなかった。

けれど、やはり3~4か月で次々と新曲を出していかなければならないというのは、歌手本人だけでなく制作スタッフにとっても大きな負荷だったし、そこでどのように新鮮な “個性” や “魅力” を打ち出していくのかが、各陣営の腕の見せ所でもあった。とくに、タレントイメージが大きく人気を左右したアイドル歌手の世界では、新曲をどう展開していくかが大きなポイントだった。

シンガーとして向き合った多彩な作家陣の楽曲と、探り続けた表現の可能性…
デビュー当初から中森明菜は、いわゆる女性アイドル歌手的な華やかさやかわいらしさよりも、どこか陰のある不良少女的存在感を打ち出していた。それは彼女の音域や歌唱スタイルを生かしながら、ライバルとされていた歌手たちとの差別化を図る意図の現れだったし、楽曲にもその方向性にそって作られるものが多かった。
そうした方向性はありつつも中森明菜のスタッフは、意識的に作家を固定せずにさまざまな作風の作家を起用しながら、彼女ならではの表現の可能性を探ろうとしているかのようだった。実際に楽曲を提供する作家陣も多彩で、大澤誉志幸「1/2の神話」、細野晴臣「禁区」、玉置浩二「サザン・ウインド」、高中正義「十戒」など、いわゆる歌謡曲シーンの作家とは一味違う顔ぶれも少なくなかった。
こうした多彩な作家陣による楽曲と、シンガーとして中森明菜がどう向き合っていったのかを見ていくのも非常に興味深い。けれど一方では、けっして器用に曲をこなしていったり、力技で自分のキャラクターに曲を引き寄せるのではなく、その曲の世界に自分を入れ込もうとしながら歌っているかのように見えた彼女には、次々と “新曲” を消費させていく形で曲と向き合わなければならないのは、なかなか辛いことなのかもしれないとも感じられた。もちろん、そんな風に感じてしまったのには、彼女の歌に漂っていた暗さのイメージも影響していたのだと思うけれど。
そのことを特に強く感じたのが「飾りじゃないのよ涙は」(1984年)を聴いた時だった。本当の個性をもったシンガーソングライターの曲の多くがそうであるように、井上陽水の曲も、“井上陽水が歌ってこそ伝わる” というツボがあって、他の歌手には歌いにくいというか、曲の神髄を伝えにくい側面がある。だから、これはかなりの冒険だったはずだ。けれど、中森明菜は見事にこの難曲を自分の歌として表現し切った。とくに、今でも “伝説” となっている、井上陽水、玉置浩二と共演した『夜のヒットスタジオ』はリアルタイムで観たけれど、まさに圧巻だった。失礼な言い方になるけれど「ああ、中森明菜が本気を出した」と感じたのを覚えている。
怖さを感じる? 中森明菜が歌う「難破船」の世界観…
中森明菜が、曲の世界と自分をシンクロさせることで、シンガーソングライターの表現にひけをとらないリアリティある表現ができる、いわば “反応力” に優れた歌手であることは「飾りじゃないのよ涙は」でわかっていた。だから、彼女が「難破船」を歌った時にも、その表現力に対してはなんの疑いも無かった。それよりも、この曲の世界を、彼女がどう自分とシンクロさせたのか、この曲と同勝負したのかが、聴きどころなのだと思った。
その意味で、これは傑作であると同時に、ちょっと危険な歌なんじゃないかという気もする。なぜなら、中森明菜はこの曲が秘めている “絶望感” に尋常じゃない深さで入り込んでいると感じられるからだ。
「飾りじゃないのよ涙は」も失恋の歌だけれど、その歌には、悲しみに打ち勝とうとする強い覚悟が感じられた。だから聴いていてもどこか爽快感があった。けれど、「難破船」を聴いていると、その悲しみの深さにひたすら圧倒されてしまう。それだけでなく、その悲しみの世界から、こっちも抜け出せなくなりそうな怖さすら感じるのだ。
加藤登紀子が歌う「難破船」にはそこまでの怖さは感じないのに中森明菜の歌により怖さを感じてしまうのは、加藤登紀子が、かつての失恋という、すでに自分の中ではけりをつけているテーマで世界を構築しているのに対して、中森明菜が「難破船」の世界観を自分のリアリティに置き換えて表現し切っているからなのじゃないだろうか。
もちろん、それは中森明菜という歌手の力量の証明でもある。「難破船」の中森明菜は、彼女が楽曲の本質的な力を引き出すことができる表現者であることを示している。
けれどもしかしたらこの曲は、彼女が流行歌の歌手としての一線を越えようとしていることを暗示する曲でもあったのかもしれないとも思うのだ。

「Siesta〜恋のままで〜」の曲は 不遇の扱いを受けている yasuhiko higasi

2022/09/26 (Mon) 09:29:58

●前口上
明菜 Twitter開設&新たな個人事務所「HZ VILLAGE」を設立と云うような
メッセージがあり 嬉しい限り。
そこで 私も久しぶりに以下のレビューを書き綴ることにしました。
「Siesta〜恋のままで〜」は 初めてのレビューです。
【[Siesta〜恋のままで〜作詞 アディア/作曲 ジャスティン]レビュー】
~「Siesta〜恋のままで〜」の曲は 不遇の扱いを受けている~
▼歌詞

風が吹いたわ あなたのかほり
その温度さえ 感じられるほど
言葉にすれば 壊れてくような
曖昧な距離 確かめる気もない

ひとときの Siesta
迷い込む deadend
人は言うけど 流す涙も無い
永遠なんて 無いことくらい
分かってるから 問いかけたりしないで

Come on to me Climb the top with me amor
ここに来て ただこのまま
Stay with me till the time reveal us all
このままで 恋のままで
Till the dawn we'll be tasting love we share
この場所で その感じで
Come on to me Climb the top with me amor

明けない夜が そこに無いように
見えてくる Sunrise
近づく終焉
足りないものは 何にも無いわ
ただ最後の dance
刻み込みたいだけ

Come on to me Climb the top with me amor
ここに来て ただこのまま
Stay with me till the time reveal us all
このままで 恋のままで
Till the dawn we'll be tasting love we share
この場所で その感じで
Come on to me Climb the top with me amor

限りある時 限りある今
永遠を誓う必要などないから
それでもまだ 続いてくもの
Just sleep in the night

Come on to me Climb the top with me amor
Stay with me till the time reveal us all
Till the dawn we'll be tasting love we share
Come on to me Climb the top with me amor

Come on to me Climb the top with me amor
ここに来て ただこのまま
Stay with me till the time reveal us all
このままで 恋のままで
Till the dawn we'll be tasting love we share
この場所で その感じで
Come on to me Climb the top with me amor

Come on to me Climb the top with me amor
ここに来て ただこのまま
Stay with me till the time reveal us all
このままで 恋のままで
Till the dawn we'll be tasting love we share
この場所で その感じで
Come on to me Climb the top with me amor

▼レビュー
まるで、ミュージカルのステージ。
スパニッシュ▪ギターのソロ演奏が、繊細さ、優雅さ、そして情熱を表現。
その演奏に溶け込むように
明菜の声が
〈耳元で優しく聞こえる感じ〉で伝わって来て
けれども
芯のある歌唱が乗っかって
さらに情熱的な作品へと高められています。
語り掛けるような歌い方を通して
心の底から溢れ出る気持ちが
巧みに表現された歌唱になっています。

明菜のスペイン▪プロジェクトは
明菜の芸の幅を広げた大成功プロジェクトだと思つています。
とにかく、明菜が明るく、躍動的で、はつらつとしているので、
明菜の細身の体と長い髪が躍動している風景は、
そのひとつひとつが、まるで、軽やかに舞う蝶のようです。
「Siesta〜恋のままで〜」……
この曲は 
不遇の扱いを受けている。
この曲は 
「THE HEAT~MUSICA FIESTA~」のシングルのB面としてしか
音盤が無いのです。
Musica Fiesta Tour 2002ーでは
衣装も踊りも、あれほどしっかりとしたものを用意して
見る者を魅了したというのに…

「Siesta〜恋のままで〜」は
とても落ち着いた大人の女性の悲哀がにじんでいるのですが、
最後の別れのシーンで
手を差し伸べた瞬間だけ
一瞬… 
「行かないで」と叫んでいることを
ストレートに訴える表情になりますね。
私にとっては…
明菜の数ある表情の中で、
かなり大好きな表情です。
そして、そのすぐ後に
すべてを悟ったかのような諦念をにじませて、
自らくるりと背を向けて暗転。
決して相手を責めない明菜…
深い慈愛を感じます。

「Siesta」=スペイン語で 昼休み、午後の休息の意味。
白日夢の まどろみの中で
この歌の主人公は…
「永遠なんて 無い事くらい 分かってるから」と つぶやき
寂寥感に満ちている。
人生なんて、時なんて愛なんて、
今なんて、全て刹那的な事。
儚いものなのだ、と。

2002年のライブ(DVD)は、
また 違った解釈で披露していて興味深かった。
古代のローマ人は、
一言も言葉を発せずに
歌とダンスで求愛をしたという。
そんな事を思い出させる
蝶のように舞い踊る明菜が美しい。
男性ダンサーとの息もピッタリ。
このライブの明菜ミュージカルにおいては…
ハイライトであったと思っています。
もっと もっと
明菜ファンに知って欲しい歌だと思っています。

この曲は…
明菜が
ラテンの曲調で
切ない感情を表現できることを
証明したのではないかと思う。
ラテンの曲調は明るいイメージが多い。
「Siesta〜恋のままで〜」は
サンバのリズムであり、
踊りだしたい雰囲気の中で
切なくも儚くも恋する女心が盛り込まれている。

明るい歌も切なくできる技。
明るいリズムに切ない思いをこめる声。
声と共ににじみ出る感情。

その一つ一つが彼女の技術なのである。
歌というものの中に彼女が秘めたメッセージとは?

風が吹いたわ あなたのかほり
その温度さえ感じられるほど
言葉にすれば 壊れてくような
曖昧な距離 確かめる気もない

不思議な恋の感覚、
恋を予感させる言葉を口にしただけなのに、
壊れてしまうような曖昧な関係。
明菜は
歌い方でその不思議な感情を見事に表現している。
切ない、儚い、苦しい…。その思いは歌う声で通じてしまう。

明けない夜が そこにないように
見えてくるSunrise 近づく終焉
足りないものは 何もないわ
ただ最後のダンス 刻み込みたいだけ

ピリオドを打とう、清算したい…
そういう思いのある言葉が多く盛り込まれたこのフレーズは、
恋にしろ、自分の思いにしろ、何かが終わるメッセージなのである。
恋の終わりは共に踊るダンス…。
それを心に刻み込みたいだけ。
それが思い出になるのなら、それはそれでいい。
それだけで自分が満たされているような気がしてしまう。
最後は2人だけでダンスをして、笑顔でサヨナラをしたいから…。
《そんな感情》がよく伝わってくる。

感情は《不思議な動き》をするものである。
明菜の歌を聴く時には…
明菜が《その動く感情》を
《歌の中で どのように表現しているのか?》について
最も感じ取りたいところであります。

コロナ禍での明菜歌唱の存在感 yasuhiko higasi

2022/06/16 (Thu) 10:54:35

▼プロローグ
明菜ファンの皆様
いかがお過ごしでしょうか❓
コロナ禍の今こそ、
音楽が必要
コロナ禍の今こそ、
明菜歌唱の存在感が増すよ

みんなコロナ疲れしているし、
辛さを抱えているから、
音楽を聴いて
明菜歌唱に浸って
快楽物質ドーパミンをだして、
心の痛みを和らげる必要がありますよ❣

【コロナ禍での明菜歌唱の存在感】
別に不幸が似合うのではなく、
人間の深い理解に基づく悲しさや哀愁感は
明菜にしか出せないものがあります。

声の質もそうだし、歌唱法・発声法もそうです。
*明菜の〈声の質・歌唱法〉は…
人間の深い理解に基づくような
《悲しさや哀愁感》を表現するとき
より伝わりやすい特質を持っています。
しかしながら
そんな特質がありながらも
《悲しさや哀愁感》と云うような
暗部から脱出する構成の歌詞・メロデイの中での「冷たい月」と「素顔のままで」とを比較すれば…
違ったキャラクター設定ですが、どちらの役もこなせる素晴らしい才能です。

勿論歌手としての表現力は素晴らしいのですが、
ドラマでの演技力も同じように高いのは
確かに関連性があると思いました。
芝居をしているという冷めた感覚でなく、
人物になりきり一体化する感覚です。
人間への理解が深いためだと思います。

コロナ禍が発生してない時代までは…
”努力”と”根性”によって自己実現できる時代だったと思います。
しかしコロナ禍が発生してからは…
努力と根性だけでは 乗り越えられなくなった。
コロナ禍発生前の価値観では
頑張れなくて、鬱っぽくなる人も多い。

コロナ禍が発生してからは…
《人間の深い理解に基づく・悲しさや哀愁感を表現する明菜の歌唱》に
癒される感覚を 深く感じ取れるようになりました。
コロナ禍が発生してからは…
たとえ鬱っぽく悲しい心情になっても
癒される感覚を 深く感じ取れるような明菜の歌唱が
貴重な存在感を示すようになると思っています。

明菜の唄から 何を感じ取っていますか yasuhiko higasi

2022/02/27 (Sun) 03:04:55

【明菜の唄から 何を感じ取っていますか】

Ⅰ前口上
 本当に永い間
 御無沙汰しております。
 しばらくの間
 体調を崩しましたが
 なんとか生き永らえています。
 
 コロナ禍が続いていて
 行き辛い社会になっていませんか?
 そう云う訳で…
 かなり趣を変えて
 以下の内容を書き綴りたくなりました。

Ⅱプロローグ

美しいパンドーラー(=勿論、女性)は、
好奇心に負けて箱(=パンドラの箱)を開けてしまう。
(あくまで、これはギリシャ神話の話です。
 女性の方、気を悪くしないで下さい。)
すると、そこから「様々な災い」…
「病、悲嘆、不安、欠乏、煩悩など」が飛び出した。
しかし、『Elpisギリシャ語』のみは箱の下に残って出て行かず、
パンドーラーはその箱を閉めてしまった。

こうして世界には「様々な災い」が満ち、
人々は苦しむことになった。
パンドラの箱の物語は多分に寓意的である。
特に箱に残った、『Elpisギリシャ語』をどう解釈するかで
物語の理解が分かれる。

古典ギリシャ語のElpisエルピスは、
「予兆」とも「期待」とも「希望」とも訳され得る。
ちなみに、英語圏ではElpisエルピスが
「Hope(希望)」と呼ばれている。

❶英語圏においては…
数多くの災厄が出てきたが、
最後に「Hope(希望)」が出て来たので
人間は絶望しないで生きる事が出来るとされる。
また、「Hope(希望)」が箱の外に出ず、
中に閉じ込められたままでは機能しないのではないか
という点に関しては、
「希望が人間の手元に残った」という解釈が一般的である。

❷残されていたのは未来を知る「予知能力」であるとする説。
未来で何が起こるか分かってしまうと、
人間は努力して生きようとしないからである。
しかし「Hope(希望)」が最後に残されていたので、
人々は絶望しないで生きられる。


❸ちなみに、今の私は、
上記の中では、
『未来で何が起こるか分かってしまうと、
人間は努力して生きようとしない。
しかし「Hope(希望)」が最後に残されていたので、
人々は絶望しないで生きられる』と云う考え方を選択する。
皆さんはどうですか?
上記の内容とは、別の考え方があるかもしれません。
この記述は、
統一見解をまとめるために、書き綴っていません。
皆さんのが選択した生き方で、人生を過ごしましょう。
二度とない人生ですから。

Ⅲ今の私が明菜の唄から感じ取っているもの
 ~豊かな感受性がなければ 生きる力を受け取れない~

❶私は今、私的な感情から生まれた言葉を紡いで、
心の中で明菜物語を綴っているところです。
それは、つまるところ、明菜物語を綴ることによって、
自分を表現し、そして日々生きていることにもなっています。

今の私にとっては、
『明菜が歌い上げる世界』が、
『私の中にある絶対的な心象世界(=私的な感情から生まれた言葉を紡いで、
自分を表現し、そして日々生きている心象世界)』に繋がっている事に気づいていて、私は、その中で、人知れず人生をふり返ることにもなっています。

❷明菜の唄により、私の心が治療されて、衰えゆく感受性が蘇る
そもそも、【音楽療法】とは、
『病気を治したり,不安や痛みを和らげるために
音楽を聴かせたり演奏させたりする治療法』である。
更に又、『感受性』とは、
『外界からの刺激を深く感じ取り,心に受けとめる能力』のことである。

明菜の唄を聴いていると、
今まで閉じていた感受性の扉が開いて、
衰えゆく感受性が蘇るのです。
明菜の唄を聴いていると、
まるで、明菜の唄により、
私の心が治療されて、衰えゆく感受性が蘇るのです。

何故か?
ー日々の暮らしに追われていると 衰えゆく感受性を 取り戻したくなる
 明菜の唄を聴いていると  まるで自分が明菜の唄そのものとなり
 過ぎ行く時の流れに乗って 歌い終わるまで生きていった感覚を体験する

 明菜は 情念の結晶を 歌い上げるのではなく
 情念が 次から次へと移り行く姿を そのまま歌い上げる

 だからこそ 聴いてる私の情念も
 明菜の唄そのものになり 過ぎ行く時の流れに乗って
 歌い終わるまで生きていった感覚を体験する

 明菜の唄は 日々の暮らしの中で 衰えゆく感受性を 取り戻してくれる
 豊かな感受性がなければ 生きる力を受け取れないのですー

コロナ禍で 明菜の歌唱に心が癒される理由 yasuhiko higasi

2021/12/15 (Wed) 02:44:23

【なぜコロナ禍で 中森明菜の歌唱に心が癒されるのか】

▼前口上
このサイトの明菜ファンの皆様
いかがお過ごしでしょうか❓
ほんとに久しぶりのレビューです。
いま現在のコロナ禍の社会状況が
やや落ち着いている状況があって
私の体調不良も回復傾向に向かっていて
ようやく書き綴れるようになりました。
私も77歳老爺となり 
ボケないうちに書き残したい欲求があって
《今まで私が既述したレビューの改訂要約版》を
《書き綴る欲求が生まれるとき》に
記述していこうと思います。
以下の《改訂要約版》の記述は
かなりの長文になっていますので
もしも時間に余裕がなかったら
もしも読み取ってゆく中で
疲労を感じ取る場合には
何回かに分けて
読み取って頂ければ幸いです。


▼プロローグ
《情念》とは…
心の底から湧き上がり
理性で抑えることができない強い感情であり
非言語的身体的な
心底から溢れ出る欲求であります
私の独断的見解を述べれば
いま現在のコロナ禍の社会状況は
まさしく この《情念》の欲求が
抑圧されている状態にあると感じ取っています

抑圧された《情念》を解放するためには
まさしく《情念》の歌手・中森明菜の歌唱Warldを
感じ取れば良いと訴えているのです


【恥ずかしがらずに愛のmessageを❣】

▼LIVE TOUR 2006・The Last destination(DVD)
 目次(LIVE TOUR 2006収録曲)
  Ⅰ~『落花流水』レビュー~
  Ⅱ~『赤い花』レビュー~
●LIVE TOUR 2006プロローグ1  
 ~恥ずかしがらずに愛のmessageを❣~

LIVE TOUR 2006で歌唱されたような
『落花流水』『赤い花』において
私が初めて気付いた事を
以下に書き進めます

『落花流水』&『赤い花』のレビューを書き進めようとすれば
『落花流水』&『赤い花』Worldに吸い込まれる恐怖さえも予感して…
いままでレビューを書き綴りたくない気持ちが強かったけれども…
LIVE TOUR 2006で歌唱されたような
『落花流水』&『赤い花』を視聴するプロセスの中で
私にとっては…
明菜が心の奥底で望んでいるのも
明菜が歌唱する『落花流水』&『赤い花』の奥底にも
きっと
以下のような《欲求や願望》があると
気付いてしまったのです❣

きっと
自分が求めるような
夢幻世界が
豊かな感受性を育てる

きっと
自分が求めるような
豊かな感受性が
愛の感度を高める

ヒトは
きっと愛の中で生まれ
愛を求め
愛の中に生きる存在だと
照れずに
恥ずかしがらずに
云える世界になれば
いいですよね…
と云うような《欲求や願望》があると
気付いてしまったのです❣

そうであるからこそ…
以下に記述するような
《『落花流水』&『赤い花』のレビュー》を読み取る場合には
上述した明菜の《欲求や願望》を感じ取りながら
《『落花流水』&『赤い花』のレビュー》を
味わって頂ければ 幸いであります。

●LIVE TOUR 2006プロローグ2

長い歳月が流れて
「THE LAST DESTINATION」のステージ上で
「落花流水」の曲を歌う40歳の明菜には…
きっと
歌手になる夢に挑んだ遠い日の事が
よみがえって来たと思います。
「あなた年齢の割には幼いわね。
 童謡でも歌ったらよろしいのでは?」
オーディションの場で
このような言葉を浴びた少女は…
その後「中森明菜」という姿をまとったまま
歌手としての輪廻転生を繰返し
このコンサートを
「THE LAST DESTINATION」の文字通りに
ライブパフォーマンスの「THE LAST DESTINATION=最終到達点」と
したのでありました。

一切の華やかな装飾がなく
近未来都市の裏路地を思わせる2006LIVEステージは
人々の〈カオスchaos=混沌〉が渦巻くような
この不夜城の主人公・明菜の舞台には
うってつけの〈夢幻世界fantastic world〉である。

そしてバックスクリーンに映し出される夢幻的な映像は…
巨大な天界からの言葉無きメッセージか?
はたまた
明菜の歌唱表現を投影した立体映像であるのか?
いずれにしても
私にとっては…
このバックスクリーンが
このステージ上における明菜の守護神のように
かつまた
明菜の歌唱表現を投影した立体映像のように
感じ取れるのです❣

●LIVE TOUR 2006プロローグ3

とにかく、2006LIVEは、
バックに大型モニターを配置し、
音響的にも、トランペット・サックスと
今回は少数ながらホーンセクションを追加、
更に又、コーラスには、
アルバム「Destination」に
全面参加しているオリビア・バーレルが参加し、
黒っぽいボーカルを披露。
2002年以来、メンバーを少しずつ変えながらも
明菜をサウンド面でサポートしつづけいてる上杉洋史バンド
と…私は勝手に名づけているけれど
気がつけば 
80年代の明菜のプライベートバンド"Fantastics"に次ぐコンビとなっている。
このバンドは、
2005年ライブ「Empress」だと
ギターとキーボードのみのバッキングだったり
2003年ツアー「I hope so」だと
弦カルテットを組み込んだり
ライブのコンセプトによって、
さりげなくサウンド編成を変えているのがポイントだけれど、
その中にあって、
今回のツアーは 今までで一番派手な編成といえる。

周りが派手に決めているのに焚きつけられたのか、
明菜はそれ以上の派手さで決めまくっている。
もう、歌い倒す、踊り倒す、魅せ倒す。
あらゆる角度から
自分自身の魅力を振りまき倒す。

1980年代のライブの明菜って、
高慢ともいえるほど自信は漂っていたけれども、
それと同じくらいに緊張感や
刃のきっ先に立っているような危うさが漂っていた。
しかしながら
このライブの明菜は、
そんな危うい自信ではなく、
実に力強く、包容力のある自信にみちているのだ。
聞き手は安心して、彼女の歌に身をまかせられる。

一方、90年代以降の中森明菜のコンサートは、
ひと言で言えば、内省的だった。
表現が自分に向かって収束する傾向が強く、
ついていける人はどうぞ、
そうでない方はごめんなさい…と云う感じ。
そういうスタンスだったと思う。
それは「芸能」と云うよりも
「芸術」という感じで、
表現としては 
かつてより随分高度になったけれども、
とはいえ、それって大衆性から
かけ離れたところもあった…と。
まあそんな感じで
「歌姫」ライブとか見ていて、
私は…そんな風に思っていたのです。

しかしながら
このライブの明菜は
聴衆を無理やり引きつけるような、訴求力。攻撃性。
聴衆を牽引せんとする力強さ。

Ⅰ~『落花流水』レビュー~

●以下のー -内に 『落花流水』の歌詞の抜粋を掲載します
ー落ちてく花の気持ちがわかる
 もがく重みさえも忘れ
 目をいっぱいに見開いて立ってた
 力がぬけてゆくー

ー流れる水のように私を
 どこか遠く運んでー

ーああ無言の恋歌
 うれしい時も悲鳴上げる
 いま あなたを知ることが
 生きている証ー
・・・・・・・・・・・・・
ーあなたの瞳に映る私
 息が触れると心を刺す棘が
 ひとつずつ消えてくー

ー生命の河の水にゆだねた
 木の葉の舟みたいにー

ーああ無言の恋歌
 邪険な時を忘れさせて
 もう昨日までの私
 反古にしてもいいー
・・・・・・・・・・・・・・
●《落花流水》を
《『落ちる花』と『流れる水』》と読み取ると・・・
『落花』に 《『流水に 身を委ねたい』と云う『渇愛の情念』》があるならば
『流水』にも 《『落花を 水にのせたい』と云う『渇愛の情念』》があると感じ取れます。

さて 《落花流水》から
私が感じ取ったイメージを 
自分なりの詩文で書き綴れば・・・

 水辺に咲いた花があって
 そのひとひらが
 流れる水面に落ち
 《流れゆく水》に ゆだねて
 どこまでも下ってゆく・・・

 明菜は
 『落花流水』の世界で
 《水面に落ちていく花びら》になります…


 《『落花流水』の歌詞》にー落ちてく花の気持ちがわかるーと云う詞句があって…
 《水面に落ちていく花びら》は
 明菜の《『渇愛の情念』の『ひとひら』》であり
 《水面に落ちていく花びら》は
 時の流れに 身をゆだねながら
 昼も夜もなく ただよって流されてゆく
 《流れゆく水》は
 《留まることのない『渇愛の情念』が入り乱れた濁流》であり
 《流れゆく花びら》は
 《性愛の恍惚(こうこつ)感》を渇望しながら
 生命の河の《『流れゆく水』に委ねた『木の葉の舟』》のように
 生命の河の水面に漂いながら 流されてゆくのです

Ⅱ~『赤い花』レビュー~

▼白魔女明菜が歌う『赤い花』の
 《「凄い」と思うほどの「低い音域」》は 
  《孤独感で包み込むイメージ》を予感させる

『赤い花』の歌唱を聴くと…
白魔女明菜の「歌い出し」は
「低音の魅力」に馴れた耳にも
「凄い」と思うほどの「低い音域」です。
「凄い」と思うほどの「低い音域」は
『赤い花』の歌唱全体を
《孤独感で包み込むイメージ》を予感させます

ちなみに
『明菜の歌レビュー集』に掲載されていたような
《「ピアノ・ソロ」収録曲の音域表》によれば…
『赤い花』の音域は
他の《repertory持ち歌》に比べて
かなり広く… 特に「低い音域」が
かなり広くなっています。

▼白魔女明菜の《『赤い花』の歌姿》を観れば…
まさに 身を削って 歌を紡ぐ感じ。
ほとんど うずくまるように 身をねぢって、
振り絞るように 歌っているのが 凄い。
この「なりふり構わない感じ」や
区切りを気にしない《breath息つぎ》を聴いて…
「昔みたいに声が出なくなった」と“批評”する人もあるが、
《歌う曲の世界を表現する》と云う視点では…
これも 
《ひとつのPerformance》であると感じます。
観客に「伝える」為だったら…
白魔女明菜は 
型に囚われず  
《何だってやる気持ち》が
溢れだすのです

▼以下は『赤い花』歌詞の抜粋ですが… 
  『赤い花』の歌唱法の視点で述べれば…

 ●ビブラートは ナチュラルに かかっています。
   説明の都合上 『赤い花』のビブラートVibrato の強さについては
   下述の抜粋歌詞の中で
   ~~~~印箇所⇒かなり強めのビブラートVibrato
   ~~~印箇所⇒やや強めのビブラートVibrato
   ~印箇所⇒弱めのビブラートVibrato
   と云う表示にしました

 ーひとりきり すくいあげる⇒「歌い出し」低音域スタートです     
  指のあいだ こぼれてゆく日々⇒低音域中心の歌唱です

  あのひとが 残したのは⇒低音域中心の歌唱です
  光さえも 呑み込む砂漠よ⇒低音域中心の歌唱です

  あぁ 心は泣き叫ぶけれど
  こんな乾いた世界じゃ
  どんな声も響かない~ー←この詞句の~印箇所⇒弱めのビブラートVibratoで歌っ  ています


  ………………………………

  最後の涙をあげましょう
  二度と咲かない花のために
  赤いその色が 溶けるまで ~ー←この詞句の~印箇所⇒弱めのビブラートVibrato  で歌っています
  せめて 見届けさせて~~~ー←この詞句の~~~印箇所⇒やや強めのビブラート  Vibratoで歌っています(やや高めの音域が感じ取れます)
  めぐりあう偶然は⇒低音域中心の歌唱です
  優しさにも ナイフにも変わる⇒低音域中心の歌唱です

  耐えられぬ いたみでも⇒低音域中心の歌唱です
  どうしてなの 追いかけてしまう⇒低音域中心の歌唱です

 ーねぇ あたしをいっそ切り裂いて⇒低音域中心の歌唱です
  何も感じないほどの 傷をつけて 去っていってよ~ー←この詞句の~印箇所⇒弱  めのビブラートVibratoで歌っています(やや高めの音域が感じ取れます)

  今は お願い おしえないで
  すべてを捨てて行ける理由を
  遠く輝いた 愛までも 嘘と 言わないで⇒(やや高めの音域が感じ取れます)

 ー最後の涙が落ちたなら
  二度とあなたが見えないように
  歩き続けるの どこまでも
  錆びた 景色の中を~~~ー←この詞句の~~~印箇所⇒やや強めのビブラート  Vibratoで歌っています(やや高めの音域が感じ取れます)

………………………………

 最終詩句ー最後の涙をあげましょう
     二度と咲かない花のために
     赤いその色が 溶けるまで
     せめて 見守りたいと~~~~ー⇒この詞句の~~~~印箇所⇒かなり強      めのビブラートVibratoで歌っています(やや高めの音域が感じ取れます)

▼低音域の声の響きが 
《地に根を張った存在感のある声》となって聴こえて来ます…
 それゆえに… 
 低音域の声の響きが 寂しさの中に強さも感じるような雰囲気を出していて…
《『狂おしい渇愛』の中で訴える『求愛の叫び』》の強さが感じ取れます。

▼《⁂白魔女明菜》の《歌唱と歌姿》から受け取った《イメージImage》を
《改訂版・『赤い花』の主人公の独白》と云うカタチで
《自分なりの詩文》を書き綴れば…

《改訂版・『赤い花』の主人公の独白》↓

 ひとりきりになってから
 両手で 愛を掬い上げようとしても
 両手の指の隙間から
 こぼれ落ちていく愛がありました

《⁂白魔女明菜》は
 こぼれ落ちていく『愛のカケラ』となり…
《『狂おしい渇愛』から 『滴り落ちる赤い血』で
《真っ赤に染まった『愛のカケラ』》の
 ひとひら ひとひらが
 宙を 舞いながら
 さまよっています

 あのひとが立ち去ってから
 わたしに残っているものは…
 《光さえも呑み込む砂漠》のような気持ち
 わたしの心は 泣き叫ぶけれど…
 こんな乾いた世界じゃ… どんな声も響かない!

 せめて 今は…
 《愛してくれたこと》を 嘘だと教えないで!
 せめて 今は…
 わたしを いっそ切り裂いて!
 何も感じないほどの…傷をつけて去っていってよ…
 わたしの体と心に
 《あなたが愛してくれた証拠》を刻んでほしいから…

 最後の涙を あなたにあげましょう
 『真っ赤な愛のカケラ』が 溶けるまで…
 せめて…見届けさせて!
 二度と咲かない『真っ赤な愛のカケラ』だから…
 『真っ赤な愛のカケラ』の
 ひとひら ひとひらが
 溶けて無くなってしまうまで…見守りたいと思うから…

 滅びゆく前の
 一瞬一瞬の『今の愛』を
 閉じ込めたまま
 永遠の眠りの中で…
 美しく死なせて!
 《二度と咲かない『真っ赤な愛のカケラ』》にならないうちに…
 だからこそ…
 耐えられぬ いたみでも
 追いかけてしまうの~

 『狂おしい渇愛』から
 『滴り落ちる赤い血』で
 《真っ赤に染まった『愛のカケラ』》の
 ひとひら ひとひらが
 宙を 舞いながら
 さまよっているけれど…
 『非情な時の流れ』の中で
 《真っ赤に染まった『愛のカケラ』》の
 ひとひら ひとひらが
 舞い落ちて…土のなかに埋もれ
 朽ち果ててしまいます
 狂おしく あがいても
 《こぼれ落ちてゆく『真っ赤な愛のカケラ』》になるのだから…

▼《⁂白魔女明菜》の《歌唱と歌姿》から受け取った《イメージImage》を
自分なりの詩文で書き綴れば…
  
ー愛を…手に入れようとしても
 《こぼれ落ちてゆく愛》があって
 《こぼれ落ちてゆく愛》の
 《哀しさ・切なさ・虚しさが混ざり合った『痛々しくも狂おしい渇愛』の情念》は
 《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》であって
 歌う《⁂白魔女明菜》の『息遣い』や『溜め息』や『ささやき』に
 歌う《⁂白魔女明菜》の『顔の表情』や『身のこなし』や『眼差し』に
 《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》の『情念表現』が溢れ出ていて…
 『痛々しくも狂おしい渇愛』と
 《痛々しくも狂おしい『求愛』の叫び》には…
 《限りなく重い『哀しさ・切なさ・無常感』》が溢れています

●『赤い花』と云う《性愛の移りゆく姿を表現する歌》についても
歌姫明菜worldの奥底には
《唯美主義》の要素があり
《情感的美の世界》や《歌姿的美の世界》や《官能的美の世界》等を感じ取っているけれど…
『腐敗した情熱の〈死にぎわの告白〉や〈妄執のもたらす狂気寸前の幻覚〉』と云うデカダンスdécadenceの香りはしません。
何故か?

《性愛の移りゆく姿を表現する歌》についても
《⁂白魔女明菜》の歌唱表現の奥底には…
《❶ポエジーpoesy:詩情(詩的な味わい)❷抒情性(リリシズム lyricism)❸「物のあはれ」と云う「日本人の美意識」》などが
脈々と流れているからであります。
❶ポエジー poesy:詩の世界のもつ情趣。詩情(=詩のもつおもむき。また、詩的な味わい 。⇒詩とは 人の心に訴え,心を清める作用をもつもの。)
❷《⁂白魔女明菜》が歌う『赤い花』の《抒情性(リリシズム lyricism)》には
《限りなく重い『哀しさ・切なさ・無常感』》が溢れています。
❸「物のあはれ」と云う「日本人の美意識」の中で…
《⁂白魔女明菜》が歌う『赤い花』には
恋人に逢えず、寂しさに耐えられぬ《哀しさ・切なさ・虚しさが混ざり合った『痛々しくも狂おしい渇愛』の情念》が溢れ出ていて…
過ぎ行く時の流れの中で
性愛の《恍惚(こうこつ)感》を
全身で感受したいと云う《必死な情念の叫び》も溢れ出ていて…
それ故に…
私は
かえって 《愛の儚さ》も感じ取ってしまうのです!

▼《⁂白魔女明菜》の《哀しさ・切なさ・虚しさが混ざり合った『痛々しくも狂おしい 渇愛』の情念》は
  歌う《⁂白魔女明菜》の《まごころ》から溢れ出る情感になっていて
  《⁂白魔女明菜》の『息遣い』や『溜め息』や『ささやき』 が
  はかなくて 危うくて 美しくて
  《⁂白魔女明菜》の『表情』や『眼差し』や『身のこなし』が
  はかなくて 危うくて 美しくて
  めくるめく《性愛夢幻world》の中に誘われるようです

  《⁂白魔女明菜》の《まごころ》は
  消えることがなく
  魂から 魂へと つながつてゆく
  それが
  《⁂白魔女明菜》の《まごころ》の姿

▼エピローグ
 『赤い花』を最初に視聴したときは…
 かなりの衝撃を感じてしまって 
 『赤い花』のレビューを書き綴り始めれば 
 『赤い花』Worldに吸い込まれる恐怖さえも予感して…
 レビューを書き綴りたくない気持ちが強かったけれども…
 逃げ続ける私に対して 
 『赤い花』Worldが追っかけてくる夢を見てしまったので 
 今回 レビューをする決心をしました。
 さて この試みが どれだけ皆様に伝わるかどうか?…不安でありますが…
 このサイトの明菜ファンの皆様に甘える気持ちだけを 頼りにして 
 レビューを書き綴る決心をしました。

【落花流水レビュー】~記憶は 愛を逃さない~

……目次……
 ●プロローグ
 ▼「落花流水(作詞:松本 隆/作曲:林田 健司)」の全歌詞
 ▼「落花流水」の背景
  *作詞家と明菜の関連性
  *歌手表現者としての欲求
 ▼私が同感した明菜ファンのレビュー
 ▼「落花流水」から私が感じ取ったこと

……本文……


●プロローグ
ヒトの精神世界の内容は
自分が今生きている『現在の社会状況』から
何らかのカタチで影響を受けている
ヒトは皆
今生きている『現在の社会状況』から
影響を受けている精神状態の中で
〈眼前で発生する現象〉を感じ取っています!

コロナ禍が発生してからは…
コロナ禍が発生していない時と違って
命とか、
愛とか、
心の繋がりとか、
自分らしい生き方とかに
よく気付くようになり
内面思考の人が
増えたように思います。

ヒトにとって
コロナ禍が存在しない世界では…
もともと限りある命であっても
死が身近に感じ取れないが
コロナ禍が存在する現在世界では…
コロナ禍が攻撃する現実を感じとって
死が身近に感じ取れるようになることで
命が限りあることに気付くヒトが増え続けて
『〈すべて形あるもの〉や〈目の前で発生する現象〉』も
手を伸ばした瞬間に…
限りあるわが命とともに
指の間からこぼれ落ちてしまうような
はかない存在であると気付くヒトが増え続ける

限りある命とともに存在する愛を
確実なものとして感じ取ることができるのは
愛する行為の最中だけであるけれど
いま感じたと思った次の瞬間には
すでに愛の感触が遠くに立ち去っていて
結局…手の中に永遠に握っておくことができない。
愛とは決して静止するものではないから、
愛を感じたければ、
二人のエネルギーがぶつかりあって
発する熱を確かめるしかない。
愛する人の腕の温もりに愛を感じ取ると云うのは…
そういうことになるのかもしれない。
しかしながら
愛する人の腕の温もりが
心の奥底の記憶から立ち去らない間は
愛の感触も立ち去らないので
記憶は
愛を逃(のが)さないのです❣

こんな想いから
「落花流水」をレビューしたくなりました

▼「落花流水」(作詞:松本 隆作曲:林田 健司全歌詞)の全歌詞

落ちてく花の気持ちがわかる
もがく重みさえも忘れ
目をいっぱいに見開いて立ってた
力がぬけていく

流れる水のように私を
どこか遠く運んで

ああ無言の恋歌
うれしい時も悲鳴上げる
いま あなたを知ることが
生きている証

孔雀みたいな満天の星
あなたの瞳に映る私
息が触れると心を刺す棘が
ひとつずつ消えてく

生命の河の水にゆだねた
木の葉の舟みたいに

ああ無言の恋歌
邪険な時を忘れさせて
もう昨日までの私
反古にしてもいい

ああ無言の恋歌
うれしい時も悲鳴上げる
いま あなたを知ることが
生きている証

▼「落花流水」の背景

作詞の松本 隆は
今までの明菜の人生の機微を承知の上で
あえて明菜の心情に
挑戦するような言葉を次々に差し出す。

しかしながら
そんな挑戦を見透かすかのように
明菜の歌唱には…
まるで
「花は美しく咲いて 惜しまれながら散っていく」と云うのは
「人間の勝手な綺麗ごとに過ぎない
 人知れず散り 水の流れに漂う花を流転の人生に例えるなら、
  私はそれを歌ってみせましょう」
と云う心情が溢れ出ています

明菜の歌手表現者としての欲求は
ーもう昨日までの私
 反古にしてもいいーと云う歌詞を
力強く歌い上げることによって
まるで
自分自身の転生へのキッカケとしたい欲求さえも
感じ取れる雰囲気が溢れ出ています

「落花流水」は
もしかしたら作詞家からの挑戦ではなく、
明菜が松本隆の内から言霊を引き出して
書かせたのかもしれない。
それゆえに
明菜は
ーもう昨日までの私
 反古にしてもいいーと云う歌詞を
力強く歌い上げたのかもしれない。

明菜さんは
ものすごく完璧主義で
努力を惜しまない性分なのですが、
どうしても
その努力ができなかったり、
行動しなければいけないのに、
どんなに必死に行動しようとしても、
行動できずに、
結局実現できなかったことも多いようです。
そのことで周りに迷惑をかけていることも
十分知っているのですが、
そんな場合
自分にも嫌気がさし、
人にも上手く説明出来ず
人と会うのも嫌になって
孤独になってしまうようです。

明菜さんは
人と競争をしたがらない。
自分は自分らしく
ライバルであっても
相手の良いところは認める。
そして尊敬する。
本当に綺麗な魂を 持っていらっしゃいます。

▼私が同感した明菜ファンのレビュー

この曲における男女の関係は、
「落花流水」の本来の意味とは逆で、
落ちていく花が女で
それを受け入れる水の流れが男という設定。
男が女を受け入れて包み込むという設定で考えると
「Days」の世界に近いところがありますが、
「落花流水」の女は、
世間の荒波に翻弄され身も心もボロボロになったような壮絶な印象。
そんな女が世間から逃れてたどりついた男との愛…
松本さんの歌詞は、
説明的ではなく
意味深なコトバのなかで
暗示的な情景(しかもかなりきわどい?)を
想像させてくれるところが、さすがです。
印象的なフレーズは、
「落ちてく花の気持ちがわかる~力がぬけていく」
「ああ無言の恋歌 うれしい時も悲鳴上げる」
「命の河の水にゆだねた木の葉の船みたいに」の箇所。

<ボーカルについて>
明菜さんの歌い方、
かなり赤裸々な印象を受けています。
この曲の世界観は
明菜さんが持つ世界観と
かなり通じるものがあるのでしょう。
「落花流水」は
かなり直情的で
かなり妖艶なボーカルです。

中森明菜さんの安定した、そして広がりのある低音が、
豊かな演奏に調和的に絡み合い、そのバランスの良さが
心地よく感じられます。
そして、驚いたことに、
♪嬉しい時も悲鳴上げる、の“あげる”、
♪邪険な時を、の“時を”など、
要所要所では、しっかりと、“コブシ”が利いているのですね。
これを演歌のものと同じコブシと解釈すべきか、
中近東の音楽に必ず見られる「コブシのようなもの」なのか、
中森明菜さんはどちらを意識していたのか、
是非本人に訊いてみたいものです。

この曲は「し」の発音が綺麗に聴こえます。
特に♪生きている証♪の「し」の伸びが聴きやすいです。
この曲では明菜の〈breath息継ぎの音〉が 
よりハッキリと聴こえます。
この〈breath息継ぎの音〉が
生々しさを倍加しています。

▼「落花流水」から私が感じ取ったこと

今ここで
今この場所で     
今を生きる《現在の一瞬》の中で
生きている感覚を
生きる歓びを
全身で体感できる時間を
感じていたい
素晴らしい記憶を創るために

はかない夢など
見たくないから
浅い酔いなど
欲しくないから…

たしかに
たしかに
記憶は 
愛を逃さないから…


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